ぼくの窓をかるくすりぬけ日本語のてざはりのない女の子たち

荻原裕幸『デジタル・ビスケット』(2001年:沖積舎)に収録の未完歌集『永遠青天症』


 

荻原裕幸の最新作のタイトルは「夏の龍宮 もしくは私の短歌の中で生きてゐる私が私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも同じ私として生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感ができるだらうと思ひながら選んだ十首」。ちがう詩型のなかでなぜ〈同じ私〉が生きなければならないのかわたしにはぜんぜんわからないけれど、よく読むと詩の越境をしたい、その実感を得たいとはとくに言っていないこのタイトルは、ちがう詩型のなかで〈同じ私〉が生きなければならないのだともべつに言っていないのだった。この連作は「三詩型交流企画」をコンセプトとした「詩客」というウェブサイトに掲載されたもので(「三詩」はすなわち短歌、俳句、詩のことにで、ここに川柳は入れられていないのだけど)、この長いタイトルは媒体が掲げるジャンル越境というコンセプトへのある種のアンサーであり、ついでに、媒体が「三詩」に含めていない川柳をきちんと追加しているあたりもやはり意思表示だといえるだろう。そして、他ジャンルへの言及はなにもこの場かぎりのものではなく、なかでもとくに俳句と川柳は荻原裕幸の短歌にとって重要な要素だと考えられる。

 

だてめがねの穂村弘は虹だから象のうんこは雪のメタファー?/荻原裕幸

 

荻原裕幸の歌を読んでいると、短歌を読んでいるはずなのに俳句について考えさせられることが多い。それは、荻原の歌に季語の気配を感じるからだと思う。この歌でいうと、「虹」や「雪」、そして「穂村弘」を季語的だと思う。虹や雪はたまたま本物の季語でもあるけれど、荻原の歌でわたしが季語的だと感じる言葉はかならずしも季節をあらわすものではなく、たとえば「みづいろ」「犀」「猫」「火星」「菜の花」「ひまわり」「寺山修司」などが含まれる。そもそも本物の俳句の季語にとっても季節感なんておそらく方便で、データベースにアクセスするショートカットとしての役割が大きいのではないだろうか。季節というキーワードは、データベースの規模を決定する上でも、維持、管理の上でもかなり適しているように思う。荻原の短歌に出てくるある種の詩語には、作者、あるいは定型の内的な必然性から呼び出されたものではなく、ある特定の季節を表すのに似て、ある普遍的なポエジーのアイコンとして置かれているような印象を抱く。俳句の季語がそうであるように、アイコン的な言葉には作者の徴がついていないので歌はいっけん無欲に手放されているようにもみえるのだけど、そのうしろに編纂されている『ポエジー歳時記』の存在を想像するとまたみえかたが変わる。俳句の方法論を用いたポエジーのシステム化が図られているような気もしてくるのだった。
また、季語では人名が忌日としてのみ登場することは、季語にとっても掲出歌にとっても示唆的だと思う。荻原の短歌に人名は意外と多い。それらをアイコン的だという意味でそれぞれ季語のようだと感じるとき、本来の季語では人名が忌日に直結するという連想が、季語が言葉の墓標のようである側面を照らし出す。そこには「〇〇忌」を歌に好んで使った塚本邦雄の影をみることもできるかもしれない。
わたしが上に挙げた歌をいい歌だと思うのは、その季語的詩語が多すぎるからである。季重なりもいいところな重複によって、言葉同士がこすれて息を吹き返しているような気がする。荻原本来の作風よりもやや躁な過剰さは穂村弘の初期の作風を思わせるし、この歌によってアイコン化したはずの穂村にどこか感染しているようにもみえる。
ところで当の穂村弘は、荻原の全歌集『デジタル・ビスケット』について〈友だちが早々と立派な墓を建ててしまったかのような、奇妙な寂しさ〉を感じたとしつつ、この歌に触れて〈どうして荻原裕幸の墓に俺が入ってるんだ?〉と述べており、これはなんだか自分が副葬品であるかのような控えめな感想だけど(しかも文章の最後でこの副葬品〈穂村弘〉のことはちゃっかり生き返らせている)、実際のところこの歌の「穂村弘」がほとんど「穂村忌」であることを感じていたからこそ「立派な墓」という比喩が出てきたのではないか、と想像してしまう。

 

他方、川柳に季語はいらない。どころか、これは完全に私見なのだけど、川柳作品には季語は含まれていてはいけないと思う。厳密には、季語としても登録されている言葉を排除することはどのジャンルの作品においてもほとんど不可能だし、それに挑むべきだとも思わないけれど、川柳のなかではその言葉の季語としての役割はねむらされているべきであり、もしも季語として機能するようであれば、作り手側の計算か読みかた、どちらかがまちがっているはずだ。川柳は日本語から直接もぎとってくるもので、俳句の季語や短歌の〈私〉のようなシステムをはさまない。それゆえの言葉の飢えのようなものが川柳の魅力だと思うからだ。
そして、掲出歌は川柳寄りの秀歌である。この歌に季語はなく、すみずみまでが軽くつくられている。直感的にはこの「女の子たち」は特定の歌人複数を指すのではないかと思ったけれど、それは妄想でしかなく、一首のなかに私小説的に読める部分もない。ここにあるのは表現だけである。この窓はなにかの譬えで、「ぼく」の身体的な部分のようにも、あるいはパソコンやテレビの画面のようにも、あるいはもっと精神的な外界との接点のようにも思えるし、本来は日本語の手触りがあるべきだと言われているかのようなこの女の子たちも何かの擬人化のような気がする。気がするけれど、そんな前身を忘れたかのように糸が切れた言葉は、だけど文法的な瑕疵はなく、定型との沿いかたにも無理はなく、意味が去っていたあとの空間の輝きをみせられているような一首である。
荻原裕幸の短歌は、時期による変遷はあるものの幅としては上に挙げた〈だてめがねの~〉の歌と掲出歌のあいだにあると思うし、それは俳句と川柳のあいだをほとんど目いっぱい使った幅でもある。俳句から川柳へ、短歌をはさんで薄くなっていく季語のグラデーションには、荻原の作品に話をかぎらない短詩型の地図をみせられているようにも思う。