炎天に悲しい胸が光るまで僕はあなたと広場に立てり

堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人:2013年)


 

言うまでもないと思いますがこれはウルトラマンの歌です。
ウルトラマンは地球に怪獣や宇宙人などの敵が出現したときに宇宙から助けに来てくれるヒーローなのだけど、地球には三分間しかいられない。ウルトラマンのエネルギー源に乏しい地球では、三分を過ぎると身体が動かなくなってしまうから。それを計るために胸にカラータイマーというランプがついていて、リミットの三分が近づくとそのランプが点滅する。「胸が光るまで」が指しているのはこのタイマーのことだと思う。この歌のなかの僕=ウルトラマンはその限られた時間を怪獣と戦うことに費やさず、ただ「あなた」とぼんやり広場に立っていることを選んだ。切ない。それだけ大切な相手なのだろうけど、その選択によっておそらくあなたが残る地球には無傷で元気な怪獣も残ることになる。「悲しい胸」にあるのは、時間が限られていること自体への悲しさでもありつつ、惨禍の予感への悲しさも含まれているような気がする。
別解として「あなた」が怪獣だという可能性もあり、敵対するはずの二者(しかもどちらもおそらく巨大な身体の)が広場にただ立ち尽くしているのもそれはそれで異様で美しい光景ではあるけれど、双方が戦意を喪失した理由が歌からあまり読み取れないので断定は避けたい。
堂園昌彦歌集『やがて秋茄子へと到る』には、掲出歌にある「悲しい」のような感情を指す言葉は非常によく登場する。それも、ある特異な感情、個人的な感情というより、あくまで一般的な「感情」をなぞりつつその彫りを深くしていくような描き方で、人の感情というものが未知の概念として学習されていくような趣がある。宇宙人つながりでわたしはなんとなく宇宙人の登場する缶コーヒーのテレビコマーシャルを思い出す。「この惑星」の美しさを発見できるのは、惑星の外側に立つ人物だろう。