花山周子


山内亮/避難所のラジオ体操第一は顔に両腕をこするよう廻す

山内亮 2011年作 『震災のうた―1800日の心もよう』(河北新報・2016)


 

山内亮さんの作品は、『震災のうた―1800日の心もよう』に、六首掲載されている。
最初の二首は「奥州市」とあり、避難先からの投稿であったのだろう。

 

・流されて避難所暮しに孫のふみ「職きまったよ」くりかえし読む 2011年
・避難所のラジオ体操第一は顔に両腕をこするよう廻す 奥州市 2011年

 

避難先で、お孫さんからの報告の手紙を読んでいる。「流されて避難所暮し」とあるから、おそらくこの手紙は避難してから受け取ったものであるのだろう。それをくりかえし読んでいる。お孫さんはおじいさんを少しでも励ましたい気持ちがあっただろうし、作者にとってとても大切な手紙であるからくりかえし読んでいる。けれども「くりかえし読む」には避難所での他にすることのない無為の日々もまた思われるのだ。
二首目では、避難所でのラジオ体操の場面が詠われる。「顔に両腕をこするよう廻す」は、そのように誰かに指導されているのか、自ら意識してやっているのか、ともかくも、顔と腕に意識を集中して丁寧に体操を行っている。あるいは、「避難所のラジオ体操第一は」という言い方には、「避難所という場所でのラジオ体操」という意味合いがあるのかもしれない。あまりスペースがなくて隣の人にぶつからないように気を付けて腕を回しているという状況。いずれにしても、「顔に両腕をこするよう廻す」には、そうするときの身体のこすれる感覚が、「こするよう廻す」という丁寧な意識のあり方が、どうあっても切実にこちらの胸に迫ってくるのだ。

 

その後の歌は、宮城県南三陸町からのもので、どういうかたちかはわからないけれど、地元に戻ることができたようだ。

 

・七ケ月DNAでわが婦(つま)はやうやくうちに還りつきたり 2011年

 

そして、この歌ではじめて、妻が亡くなったことがわかる。七ケ月とあるから十月頃のことであろうか。以降の歌では繰り返し、妻のことが詠われている。

 

・にげる際妻が最後に着せくれたジャンパー一枚あとまで残す 2012年
・にげる時妻が走って着せくれた毛布一枚今冬(ことし)も使う 2014年
・五年経(た)ち遺品も何もないけれど会話の中には出てくる妻の名 2016年

 

どういう状況だったのかはわからないけれど、高台などに逃げるそのときまで、妻といっしょにいた。その妻が着せてくれたもの。「ジャンパー一枚」と「毛布一枚」は同じものであるのか、「あとまで残す」と詠われたあと、二年後にも「今冬」も大切に使っているのだ。投稿歌、という特性から、連作単位で作品が詠まれることはなく、そのために、状況として詠い切れていないものの多々あることも思われる。そして、そのジャンパーや毛布は、妻が着せてくれた自分のもので、妻の遺品は残っていない。それでも、会話の中に妻が出てくるのは、作者が地元にいるからで、空間として妻の存在が遺されている。今後、もしも作者が復興住宅などに移り住むことになれば、それさえも失ってしまうのかもしれないのだ。

そして、これらの歌を読むとき、改めて、

 

・避難所のラジオ体操第一は顔に両腕をこするよう廻す

 

このようにして体操に集中していた作者の姿が思われるのだ。作者が何も語らない、語れない時間があったということが、継続して歌を読むときに浮かび上がってくるのである。そしてまた、歌を詠めるのは生き残ったものだけであること、そのような思いを一人一人の作者が胸に秘めていることも思われるのである。