生沼義朗


吉川宏志/桜まだ咲かざる闇に立ちながらアナクレオンの如き死を聞く

吉川宏志『鳥の見しもの』(本阿弥書店・2016年)


 

前回は7年前に43歳で急逝した佐々木実之の作品に触れたが、引き続き今回はその佐々木を偲んだ歌を取り上げたい。掲出歌の作者である吉川宏志は、佐々木とは京大短歌会で同時期に活動していた。

 

掲出歌は「短歌研究」2012年5月号に掲載された「アナクレオン」が初出。6首一連の1首目で、「佐々木実之君」の詞書が付されている。

 

 

桜まだ咲かざる闇に立ちながらアナクレオンの如き死を聞く
「脳死」また「ちっそく」とあり妻の字は電話の横の紙に散らばる
若き日の酒をおもえばみずからを傷つけながら人傷つけし
春雨は広場のなかに吹き入りて吹奏楽の金銀ぬらす
その腎のふたつを移植したること聞きたり聞きて黙すほかなし
日を継ぎて花びら落とす白梅の過ぎゆくものは迅(はや)く過ぎゆく

 

一連の他の歌を順番通りにすべて引いてみた。

掲出歌の「桜まだ咲かざる闇」は佐々木が急逝した3月17日頃の時候を受けた措辞であるが、「闇」は夜にその訃報を受けただけでなく、作者の暗澹たる気持ちを表現するためのものであることは言うまでもない。「立ちながら」も何気ない表現でありながら、呆然とした様子がよく現れている。

 

題にもなった「アナクレオン」は古代ギリシャの抒情詩人である。葡萄の種を喉に詰まらせて死んだという伝説がガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)の『博物誌』にあり、下句はそれを踏まえている。

 

2首目は、1首目の結句「聞く」を受ける形で、おそらく妻から訃報を聞かされたことが示唆される。書き留めるのに一生懸命で字がおそらく思い浮かばなかったのだろう、「ちっそく」とひらがなで書かざるを得なかったところや、その字が「紙に散らばる」とした描写に高いリアリティがある。

 

5首目は伝聞から受けた感慨をそのまま歌にしており、下句の「聞きたり聞きて黙すほかなし」は平易な表現のようでいて深い味わいがある。上句に重い事実が提示されているからこそ対比が際立っている。

 

4首目と6首目は直接死を詠っているわけではないが、「吹奏楽の金銀ぬらす」や「過ぎゆくものは迅(はや)く過ぎゆく」などの表現に死生観が漂っている点でまぎれもなく挽歌である。どちらの歌も景色が美しいことも重要で、その奥に訃報がもたらした〈死〉への意識が濃く影を落としている。

 

この一連は、「短歌研究」が毎年行っている特集「現代の102人」に掲載されたもので、吉川はエッセイも同時に掲載されているが、その最後に「佐々木実之君は、今年の三月に早逝した。少しでも彼を記録したく、この稿を書いた」と記している。この一連はまさに挽歌としての一連である。挽歌の役割は、作者自身が故人を偲んで悼むだけではない。記録することで、故人を知っている者にはその存在を思い出させ、知らない人間にはその存在を知らしめることにある。その意味で、まさに挽歌の機能を充分に発揮した一連でもある。