京表楷『ドクターズ・ハイ』(柊書房・2006年)
短歌の世界にはいわゆる先生、つまり教師と医師が多いことはよく知られている。統計があるわけではないので具体的な数字や比率まではわからないが、他の職業よりは目立つ印象があるのは間違いない。
京表楷(きょう・ひょうかい)は1960(昭和35)年生まれで、著者略歴によると刊行当時は茨城県内の病院に勤務する整形外科医である。内科医や精神科医の歌人は何人か思い浮かぶが、整形外科医はちょっと思い当たらない。
『ドクターズ・ハイ』は京の第一歌集で、1993(平成5)年からの10年間以上の作品369首が収められている。あとがきによると歌集題の『ドクターズ・ハイ』は、「医師として夢中で働いていると、時として感じる快感」を意味する京の造語という。ちなみに現在、「ドクターズ・ハイ」の語でネット検索をかけるとアメリカの医療スリラー映画がヒットするが、これは2008年の映画なのでまったく関係ない。
掲出歌はものすごい意味内容で、それが医師の眼を通して簡潔に描写される。「氷詰めの指」や「七時間」などの表現には医療の現場でしか見いだせないリアリティがある。
「指無し患者」という言葉はさすがに現場で使われている言葉ではなく、京がこの作品にあわせて選んだ言葉だろう。日本語として見たときに省略が雑との指摘はもちろん可能だが、省略が勢いとインパクトを産み、それが医療現場の壮絶さを想起させる点で効果的に働いている。しかも「氷詰めの指」が初句に来ているのは、京にとって「患者」よりもある意味で大事で、指がないと「もとに接ぐ」手術が出来ないからである。
結句の「指もとに接ぐ」も淡々と描写されているがゆえに、切断された人間の指を元通りにつなぎ直す、普通の人にとっては非日常と言っていい作業を日常的にこなしていることが推察できる。一首全体で見たときに、一見言葉が詰め込まれている印象はあるが、全体に緊張感があるので窮屈な印象は受けない。歌の意味内容と使われている言葉の質と量、一首の言葉運びのテンポが釣りあっているからだ。
(俺はウマい)三回唱え息を詰め引きたるメスは皮脂までを裂く
息吸うか吐くか止めるか顕微鏡(マイクロ)で縫う血管の径は1ミリ
風邪なんぞひかないものと決めつけて無理無理しているわたしは医者だ
また痛い検査ですかと言わるるもほかに手もなく太い針刺す
脳興奮物質(アドレナリン)、脳快楽物質(エンドルフィン)さえ出まくって救急処置中ドクターズ・ハイ
一日に十二時間も手術して飯も忘れて寝て朝が来る
整形外科医師の仕事を詠んだ他の歌にも、『ドクターズ・ハイ』の歌集題に象徴される通り、テンションの高さと勢いがみなぎっている。憶測が入るが、常に手術を行っている医師だからこそ、このテンションと勢いを保たないと日々の激務はこなせないのだろう。その意味では、ちょっと体育会系の匂いもしなくはない。精神科ならここまでのテンションはそもそも求められないイメージがあるし、内科や皮膚科や眼科でももう少しテンションの質が異なる気がする。
具体的に歌は抄かなかったが、『ドクターズ・ハイ』は仕事の歌だけでなく、飲み食い(飲食よりも「飲み食い」と言った方が歌柄により合う)の歌や社会情勢や社会全体にもの申す歌も目立つ。どの歌も、言い切りの形に奥村晃作の影響を感じた。
掲出歌のように熱度が高く、さらに作者自身のドライヴ感が強いゆえに読者もともにその感覚を味わえる歌に、京の歌の魅力と特徴を強く感じた。こうした歌をもっと読みたい。