平岡直子/すごい雨とすごい風だよ 魂は口にくわえてきみに追いつく

平岡直子「Happy Birthday」(2011年・「早稲田短歌』」41号)


 

激しい風雨が「すごい雨とすごい風だよ」とストレートに表出される。それは動物が走るときの前肢と後ろ肢、そして胴体の躍動を感じさせる。犬や狼的だ。口に大事なものをくわえるのは犬や狼や猫のような動物で、でも猫だったら一生懸命きみに追いつこうなんてしない。激しい風雨に立ち向かう体格からして、狼のような姿態を思う。

 

魂は内部にあるもののように思われるけれど、ここでは口にくわえられている。それは大切な赤子のように取り扱われている。本当に大事なものというのは内ポケットや鞄の奥に入れてさえ失くしてしまいそうな気がして、手で握りしめる。そして今、彼女は魂を自分の内部にしまっておいたのでは取り落としてしまうくらい早く走っているのだと思う。前肢も後ろ肢も走るために使われている。だから、口にくわえるのだ。絶対に失くさないために。なんのためにきみに追いつこうとしているのかなんてわからないけど、そこにたどり着くとき魂だけは絶対に失くしていてはいけないのだ。

 

ここでは魂というかたちのないものが、口にくわえるモノとして取り出されている。その大事なものを守るための身体として動物的な行動が選び取られる。そのような平岡の意識の回路が激しい風雨のなかで全面開示されている。

 

いろいろ書いてきたけれど、平岡直子の歌はとてもストレートだと思う。
そのストレートさは、9月2日に書いたように、何かに対し冷淡でなければ書けないものがあることが一方でシビアに認識されているから実現されているのであり、それは翻せば、書くことの意志が明確に自覚されているということなのだと思う。だから平岡の歌ではファジーなもの直感的なものがこの認識の上に思考回路としてメタ的に取り出されていて、そのことが一つの思想として立っている。彼女の歌は硬質でときにとても冷たく小声でもあるけれど、私にはそうした彼女の歌に背に腹は変えられない場所に立った強かな歌の自律を見るのであり、たとえば今日の一首ではその背に腹は変えられなさが全面開示されているのだ。