生沼 義朗


麻生由美/部分点なくて一気にバツをするマルより強しわが筆勢は

麻生由美『水神』(砂子屋書房・2016年)


前回前々回に引き続き、学校教師の歌を今回も取り上げたい。掲出歌の作者麻生由美は、大分県内の公立中学校で長年教諭として勤め、現在は退職している。歌人としては学生時代から「まひる野」に所属し、40年を超える歌歴がある。『水神』は第一歌集である。

 

掲出歌はテストの採点の景色を詠む。部分点とは、記述問題の採点の際に単純に○や×で判断するのではなく、一部正解している答に対して問題の配点の一部をあたえることである。

 

たとえば英作文の問題で、大体の文章は合っているものの、足りない要素や単語があるようなケースは配点からいくらか差し引かれた点数があたえられるし、数学ならば計算式を進めているなかで最終的には答は間違えていたが、考え方そのものや解答の進め方が途中まで合っている場合は配点の一部がもらえるなどがこれにあたる。

 

要は△判定なのだが、△とひとことに言っても正解に限りなく近いものもあればそうでないものもあるからケース・バイ・ケースで判断が難しいときもあるだろう。掲出歌の場合は完全なる(?)不正解で、部分点の余地はまったくなかったのだろう。だから「一気に」×をつける。その筆の勢いは○をつけるときよりも強い。授業でちゃんと話しただろうという生徒に対する苛立ちであり、同じ作業を繰り返すなかでハイテンションになっている様子も察せられる。

 

教壇に踏ん張つてゐる 眼の隅でさくら何やら満開らしい

ハンマーでオレを殴つた父さんを悪く言つたら許さん 気配

センセイに君の気持ちはわからないわかってたまるか世界のために

君たちと複数形に括れぬを括つてをるぞ説諭のさなか

 

『水神』から教師としての歌をいくつか引いた。前回のさいかち真の歌もそうだったが、今回も描かれる景色は壮絶と言ってよい。だが壮絶さを必要以上にクローズアップはせず、情景と抒情を簡潔かつあざやかに提示する。歌の意味内容もいわゆる上から目線に傾かず、かといって諦念やぼやき一辺倒にもならない。絶妙なバランス感覚と、長年の経験に裏打ちされた矜持が感じられる。

 

公立の中学校という場も、考えてみれば優等生からそうでない生徒までいろいろな属性の子供が入り交じっている。さらに言えば、中学生自体が未成熟と妙な老成が渾然とした存在だ。そうした混沌とした場と人間を、淡々としかし率直に苦悩と煩悶を滲ませながら詠んでゆく。そのバランス感覚は見事であり、一気に読ませるものがあった。

 

煩悶は歌集第Ⅱ章の遍路を詠んだ歌や、第Ⅲ章の日常詠にも静かな形で引き継がれる。『水神』一冊を順番に読んでゆくと、図らずも疲弊した人間が再生してゆく過程を見るようで、しみじみと感じ入るものがあった。そして再度第Ⅰ章の教師としての歌を読むとき、子供とは何か、教育とは何かを自分は考えずにはいられないのである。