生沼 義朗


中地俊夫/島田修三は島田修二に似る歌を作らざるゆゑ島田修三

中地俊夫『覚えてゐるか』(角川書店・2011年)


 

中地俊夫の『覚えてゐるか』は第3歌集。よく言われることだが、この歌集で特徴的なのは孫を詠んだ歌、いわゆる孫歌だ。

 

 

この子はたちになるときわれはゐないだらうなどといふこと胸に走らす
懸命に泣きゐる声はみどりごの一万メートル上空の声
ハーフなるあはれはあをき眼をもちてぢぢなるわれをじつと見つむる
「いらない」と児の突きかへす豪州の冬のトマトはしみじみまづ不味し
英語喋ること期待され二歳児となりゆくこの子ハーフを背負ふ
オトウサンと呼ばるるたびにどきりつとしてグワイジンの婿のかほ見る
二歳児をあづかるといふ大変に直面をして怪獣になる
英語ぺらぺらになつて帰り来し幼子に日本語で言へとぢぢばば怒る
四歳児のボディブローが効いてきてふらふらとなりぬ頭突きさへ受けて
ハーフなる児のかなしさか女の子ばかりに取り囲まれて過ごすは

 

 

家族を詠んだ歌は対象に対する客観性が評価の分かれ目となる。子供を詠んだ歌もその意味で成否はわかれやすいが、親としての分別や内省といった要素とからむことで作者と対象の距離がある程度以上保たれることになり、結果自身の子供を詠んだ秀歌も少なくない。しかし孫を詠んだ秀歌があまり思い浮かばないのは、1999(平成11)年にヒットした大泉逸郎の曲「孫」を引きあいに出すまでもなく、可愛さのあまり対象への溺れが出やすいからである。ここまで書いて斎藤茂吉の

 

 

ぷらぷらになることありてわが孫の斉藤茂一路上をあるく  『つきかげ』

 

 

を思い出した。「ぷらぷらになることありて」は、意味内容を追い始めると何のこっちゃとなってしまうが、描写として見たときに、主観が交じっているもののかなり冷静であり、孫可愛さによる溺れからは程遠い。とはいえ、孫に対する情愛が一首の作歌動機であることは誰の眼にも明らかだ。孫歌の成功例として例外的ともいえるが、ひとえに肉親の情愛と卓抜した表現力の賜物である。

 

中地の歌に戻ると、中地の長年の修練と事象を定型に切り取る力は紛れもない。もちろん肉親の情愛の部分はいうまでもない。溺れはゼロではないが、一種軽妙な文体で対象の引力の間をすり抜けてゆく印象がある。

 

掲出歌はもともと短歌人の月例歌会で題詠を行った際に出された歌である。「島」が題だったので、度肝を抜かれた覚えがある。この歌を字義通りに解釈してもまったく面白くない。島田修三が島田修三たる所以は島田修二に似る歌を作らないからというのは、把握としてどう考えたって雑である。島田修三と島田修二では歌柄も年齢も全く違う。それを歌として「ゆゑ」でまとめるのも強引だ。島田修三および関係者は怒るかもしれない。いや、島田修二の関係者も怒るかもしれない。もちろん中地は、こう書くと不思議な異化効果が出ることを狙っている。文字および文学作品の持つ力であり、中地は嫌がるたとえかもしれないが、方法論としてはお笑いのボケに近いものがある。この場合のツッコミ役は読者おのおのだ。あえてこう言うことで読者にボールを投げる。読者はそれを基に考えたり何らかの反応をすればいい。さらにその奥に人を食って平然としている様子と、飄々とした作者像が浮かんでくる。とはいえ、底知れない得体のしれなさとも違う。2月26日の項で挙げた浜田蝶二郎も飄々とした味わいでは共通するが、浜田のような徹底した時間や存在論への問いではない。

 

 

わが家のファックスを動かしはじめたる午前三時の蒔田さくら子
「そんな顔してゐたつけ」と四十年の歳月たどる玉井清弘
さるすべりは落つ花にして散る花にあらずと言へり玉城徹は
歌人安森敏隆はわれを覚えをりわれが覚えてをりたるやうに
斎藤茂吉の血液型を問ひたれば秋葉四郎が即座に答ふ
曽我ひとみさんが歩いてゐるだけでもう充分な佐渡の秋なり
大相撲秋場所のマイクが拾ひたる千代大海のチクシヤウの声

 

 

ここでヒントになるのが、中地には具体的な人物を詠んだ歌が多いことだ。現役時に発表していた仕事の歌も主に人事詠だった。中地は人間が好きなのだと思う。だから人間を歌で描くし、描き方も人物にクローズアップした構図となる。花山多佳子や小池光が人物を描きつつ世間の一要素として包括的に描くのとは対照的である。

 

 

人生を棒に振るため今日もまた夫は歌会に出てゆきました

 

 

この歌の「夫」は間違いなく作者自身である。そしてこの歌もまた「人生を棒に振るため」などでは決してない。しかし間違いなく短歌で人生を半分以上棒に振ってしまった自覚はある。そこには忸怩たる思いと一種の矜持が入り交じる。その複雑な感情が、童話で使われる地の文のような文体を選ばせている。

 

自者他者を問わず人間を描いた中地の歌の奥には、人間の生きることの悲喜劇や哀歓が重くないタッチで滲み出てくる。そこに作者自身のボヤきから醸し出される哀感も重なり、中地の歌の魅力になっている。作品のみならず本人もきわめて飄々とした印象かつ人柄だが、人物を描きながら人物に没入していかないのは、人間に興味がありつつも深入りしない中地なりの配慮と工夫だろう。そしてその含羞こそが中地の歌の味わいの源泉ではないかと考える。