大島史洋/あろうことかもやしが風に舞うようとわが大車輪を妻は評しぬ

大島史洋第七歌集『幽明』(1998年/砂子屋書房)


 

前回紹介した〈この海のむこうにアメリカ くりかえす吾子とすこし恥ずかしきわれと〉の「くりかえす吾子とすこし恥ずかしきわれと」という並置の作用というのはけっこう大事だと私は思っている。それは一つの世界の在り方、捉え方であると思うのだ。というのも、基本的には主語によって統制される歌の密閉性は短歌詩形が作者に齎す世界の捉え方ともなっていて、この詩形が要請する思考回路みたいなものはこちらが思う以上に強力でもある。けれども大島史洋の歌というのはどこか飄々とこの要請を躱すような独特の身軽さをそなえていて、それが一つの歌風を成しているようにさえ思わるときがある。

 

あろうことかもやしが風に舞うようとわが大車輪を妻は評しぬ

 

大島さんは実際、身体もかなり身軽で柔軟性に優れ、このように大車輪ができる人で、大車輪というのはもちろん麻雀の役のことではなく、二本の腕で鉄棒をぐるんぐるんと回る体操の大車輪である。この歌が収録されている第七歌集『幽明』は「一九九三年から九五年までの三年間の作品、四一〇首を収録した。私の四九歳から五一歳までの時期である/(あとがき)」ということで、五十歳でこれができる人はめったにいるものではないから本人にしても得意になって妻に見せている。「あろうことか」はそうした無邪気な悦びを裏切られた悲壮な呻き声であり、この歌はその悲壮なうめき声からはじまるわけだけれど、「もやしが風に舞うよう」という妻の評がそのまま回り続ける大島史洋となり、「妻は評しぬ」と言いながらもなお回ってるような、つまりは詠っている本人が回転の円をなし誰もその姿を捉えられないような清々しい歌なのだ。

 

薬屋の鸚鵡が発する「元気デスカ、ソウデスカ、バイバイ」はわが胸を差す

 

これも同じ『幽明』の歌である。鸚鵡によってただ丸暗唱された挨拶が身も蓋もなく「わが胸を差す」のだ。圧倒的に薬屋の鸚鵡が優勢なのである。それをそのまま受容するところにやはり独特の清々しさがあると思う。

 

死の際に思い出でてぞあるらむか眼前を飛ぶ灰皿いくつ

 

これは第十二歌集『ふくろう』(2014年/短歌研究社)の一首である。一連には〈夕刊に知りし玉置宏の死 失脚ののちの人生〉という歌があり、この歌も玉置宏のことが詠われている。玉置宏は1970年代「玉置宏の笑顔でこんにちは!」(ニッポン放送)などの長寿番組の名司会者として活躍した人で、きっと会議の場面や観客から灰皿が飛んだようなエピソードがあったのだと思う。昔は短歌の会でもいろんなものが飛んだようだし、そういうことは語り継がれてもいるから、忘れがたい場面には違いないと思うのだが、それにしてもここで空想されている、死に際に思い出すものとしての「眼前を飛ぶ灰皿いくつ」には虚をつかれる。それはあまりにも死から遠い生き生きとした場面、という以上に呆気にとられてしまってもはや自分がどうのという状況ではない。そんな場面を思い出す死に際というのは実に清々しくも思われるのである。いや、この歌が物語ろうとしているのはそんなことではなくて、灰皿が飛んだいきさつ、それは失脚とも関りがあるのだと想像されるし、そのような人生における人の思いに心寄せした淡い感傷でもあるのだと思うのだけれども。

 

ふくろう』から印象的だった歌をいくつか引用します。

 

公園にトウモロコシを食う人のつかのまの幸吹き渡る風

あれはいつ蝶を採らんと尾根を行き蝶ひるがえる雲の輝き

いつの日や図鑑に調べしレンズ雲品川過ぎて車窓に浮かぶ

父と子の絆はたとえば隣人愛 傘一本の貸し借りくらいの

のどかなる一日の夕べ手の甲に小首かしげるインコをのせて

宝くじ売り場に群れる雀たち折々パンのちぎれが飛んで