生沼 義朗


淡島うる/ちゃんとした肉をちゃんとした炭で焼きちゃんとした米で食ってから行く

淡島うる「ふしあわせ」(「さんばし vol.1」・2019年)


 

前回に引き続き、文学フリマで入手した書物を取り上げる。

 

今年11月に創刊されたばかりの「さんばし」は、東京大学の学生短歌会であるQ短歌会所属の鈴木えてが立ち上げた短歌メディア「短歌プラットフォーム「さんばし」」の一環として創刊された同人誌である。「創刊の辞」によると、「短歌というジャンルをバッチバチに強くする同人誌」であり、「豪華ゲストを迎え、新しい短歌シーンを鋭く分析する全く新しい同人誌」という。

 

今回は「さんばし」のブログで連載されている今一番推したい歌人を紹介するリレー連載「つがの木」で紹介された15名による各10首の連作、アンケート「みんなの短歌ライフ10の質問」、石井大成と御殿山みなみによる対談「インターネットでは今何が起きているのか?」、さらに田中ましろ「ネットの短歌30年史~対立から共存へ~」、髙良真実「改めて、学生短歌会とは何か」、濱松哲朗「「短歌」と「同人」を振り返る」の評論3篇という内容で、短歌の特に新しい動きの現状を分析することで既存の短歌シーンに揺さぶりをかけようとする強い意欲を感じる。特に3篇の評論はいずれも読み応えがあり、資料的価値も極めて高いものだった。

 

さらに「短歌プラットフォーム「さんばし」」の活動はブログと連動しているところも特徴だ。具体的にはゲスト同士の作品相互評を掲載したりするなど、雑誌とネットをクロスオーバーさせてゆく手法を採っていて、これも意欲的である。

 

掲出歌の作者淡島うるは「立命短歌」所属。意味内容は肉を焼いてご飯と一緒に食べただけのことに過ぎないが、不思議なうねりと味わいがある。うねりはまず3回繰り返される「ちゃんとした」からもたらされているのは間違いない。歌全体にそこはかとないユーモアが漂うがよく読むと一首に緊張感が漂っているのは、これも3回の「ちゃんとした」の効果が大きい。「ちゃんとした」は外食か自炊かでもニュアンスが変わってくるが、どちらにしてもそうありたい希求が伝わってくる。そして次の歌が

 

 

何らかの脳波を誘うメロディの中で私が焼肉くさい

 

 

なので、肉を炭火で焼いているのは焼肉屋とわかる。ということは普段は「ちゃんとしていない」食生活を送っていて、外食でかろうじて「ちゃんとした」食事ができているところまで想像できる。次の歌は焼肉屋を出た別の場所だろうが、焼肉の匂いが染みついた身体や衣服を気にしながら、「焼肉くさい」とは言いつつも嫌な気分はあまり漂わない。むしろ肉を食べたことに満足しながら、この匂いさえなければという感情を自分は受け取る。「何らかの脳波を誘うメロディ」は店で流れている音楽やチャイムなど読者がそれぞれ想起すればいいが、一種の軽いトランス状態を窺わせ、それが焼肉で得た満足感と呼応する。身体と時間のちょっとした充足を描く秀歌だと思う。

 

今回「さんばし」でなされた新たな場の現状分析は充分な意味があった。そのなかでいわゆる歌壇や短歌ジャーナルに対する意見や提言もしばしば見られたが、今後はいわゆる歌壇に属する歌人やシステム側からの意見や反論を載せてゆくことにこそ「プラットフォーム」としての意味と役割があると考える。

 

今回の執筆者は、論作ともに短歌総合誌などでは書くことの少ない人をおそらく意識的に起用しているものと思われる。その意図と意味を充分理解した上で、既存の歌人と新しいと目される歌人の双方を繋ぎ、ゆくゆくは統合を目指す。「さんばし」はおそらくそうした意図から付けられた名称と想像する。今後の継続的な活動と成果に大いに期待している。

 

最後に余計ながらひとつ注文を述べると、全体に活字の級数が小さく、若い読者は気にならないだろうが、老眼がはじまった身には少々辛いものがあった。40歳代半ばの自分でそうなのだから、もっと年配の方はおそらく読めないかそもそも読まない可能性も高い。些細なことのように思う向きもいるかもしれないが、対話にあたってこうした環境整備は実は極めて重要である。そのためには自分たちだけで判断しないで、信頼できる他人それもできるだけ多くしかも幅広い属性の人たちに聴いてみることが必要だ。それはレイアウトなどのアウトラインのことだけでなく、内容もまた然りである。繰り返しになるが、継続的な活動を基に、一定以上の成果を出すことを心から祈っている。