生沼 義朗


金津十四尾/雪ふらぬ大寒にわが手ひび割れず雑誌返品の荷造り捗る

金津十四尾『出版人の萬葉集』(日本エディタースクール出版部・1996年)


 

前回に引き続き、『出版人の萬葉集』の歌を挙げる。

 

掲出歌は「書店」の項目に収められている歌で、作者の金津十四尾(かなつ・としお)は1918(大正7)年島根県生まれ。1937(昭和12)年に「アララギ」入会。1949(昭和24)年に「新月」の創刊に参加し、編集発行人を務めた。『出版人の萬葉集』に金津の歌は26首収載されている。

 

 

委託制故に倒産をまぬがれて営み得し本屋二十三年
斎藤茂吉全集四組注文す店主の我の一組も添へて
店頭にて慌しく売れゆく週刊誌は老いづくわれを酷使するなり
入荷なき日曜を雑誌返品日と決めゐて遠き旅に出るなし
我ひとり店を守りつつ下痢せし日漫画本三冊万引されぬ
高校一つなき山峡のわが町に雑誌しか売れぬか昨日も今日も
政治家に読書家なしと思はねど町議等に月一冊の購読もなし

 

 

歌を読むと金津は山間の町で妻と2人で書店を自営しているようだ。掲出歌を含めてどの歌も意味は一読してわかる。掲出歌を読んでゆくと、大寒は二十四節気のひとつで例年1月20日頃である。地方にもよるだろうがたしかにこの時期は雪はよく降るイメージがある。しかしこの年は暖冬のためか雪が降らない。なので手にひび割れもできず、本来あまり気の乗らない雑誌を返品する荷造りの作業もはかどったということだ。結句を「荷造り捗る」と助詞を省いたり動詞で締めたところなどは直裁といえば直裁だが、景色を切り取ってその奥にある作者の抒情を読者に手渡す手腕のたしかかさはまぎれもない。

 

他の歌も、たとえば1首目の「委託制故に倒産をまぬがれて」は意味内容の叙述をかなり優先しているが、20年以上自身の書店が持ちこたえた実感とどうしても言っておきたい意志は伝わってくる。斎藤茂吉全集を注文するときに自分が買う分も一緒に注文する2首目は「四組」という数詞にリアリティがあり、「添へて」に公私混同にならないかというかすかな含羞が滲む。

 

これらの歌が制作された時期はわからなかったが、歌を読むとこの時期すでに本は売れにくくなっていたようで、売上の主力はマンガと雑誌のようである。雑誌は次の号が出たら当然前の号は返品する。週刊誌は刊行の頻度が高いから、インターバルは短い。3首目の「慌しく売れゆく」は単によく売れるだけでなく、そうした意味も含んでいるのではないか。「老いづくわれを酷使するなり」には実感が根づいているが、週刊誌に振り回されているものの、売上は軽視できないジレンマも浮かび上がる。他にも、入荷のない日曜日を雑誌の返品日としていたり、何らかの理由で奥さんが不在でひとりで店番をしていた日に下痢をしてマンガを3冊万引されたり、雑誌しか売れないあるいは町議会議員が本を読まないなどの歌には読者がなかなか知り得ない細部があり、それが歌のリアリティにつながっている。

 

金津の歌の隣には、金津の妻である金津文枝(かなつ・ふみえ)の歌も7首掲載されている。金津文枝も1952(昭和27)年に「アララギ」に入会し、「新月」の同人として活動した。

 

 

東京の神田の青空古書市に人あふれゐて本に近よれず
ベッドより身を起し懐しげに声かける老あり配本に来し病室に
この町に人雇ふなく本屋守り四十三年目も夫と二人の正月

 

 

金津文枝の歌も一読明瞭で、金津十四尾の歌と併せて読むと味わい深い。神田の青空古書市は名物で、自分も何回か訪れたことがある。赴いた理由までは歌からは窺えないが、「人あふれゐて本に近よれず」はいかにもありそうな光景で、読者の微苦笑を誘うものがある。2首目3首目は定型をややはみ出ている印象はあるが、意味内容の重厚さもあってあまり気にならない。配達の歌が多いので、奥さんの方が主に配達をしていたようだ。

 

どの歌からも、おそらく小さな書店を時代の荒波のなかで懸命に営んでいる夫婦像が浮かんでくる。『出版人の萬葉集』は20年以上前に出た本で、現在の出版界や書店をとりまく状況はもっと困難なものになっている。金津の書店は現在おそらく代替わりか廃業しているだろう。そう考えれば、これらの歌には図らずも古き良き時代の証言の意味合いもある。