田村穂隆『湖とファルセット』(現代短歌社、2022年)
いく、蚊の、身体、の小刻みに文節のくる感じがここちよく、そこに、かのからだかるくなる、の頭韻などもあいかさなり、あるいはそもそも「ふくらんでいく蚊の身体」と「かるくなるわたしの身体」のリフレインがあって、ぜんたいにリズミカルな一首である。息をつくように置かれた「日暮れの駅に」が印象的だ。
うたは蚊にくわれた場面であろう。わたしの血を吸ってみるみるふくれあがっていく蚊のからだ。血を吸われてはつかにかるくなるわたしのからだ。血のやりとりを介してかかわりあいをもった、ふたつの身体がえがかれている。
それだけと言えばそれだけ。でも、この歌集にとって「身体」というのは欠かせないテーマであって、一冊のなかで読むと、ことにこのかろやかさが身に沁みる。
たとえば、こんなわずかにでも身体が「かるくなる」ことへのあこがれであったり、あるいはこうしたごくささやかなものであっても、ここにかかわりあい、まじわりがある、それが身体をつうじておこなわれる、そのことを希求するこころがある。
日暮れの駅の、ある風通しのよさのようなものが、一首ぜんたいに流れながら、この場面をいつまでも尊いものにしているようだ。