ガスタンクこわごわみればみどりなすともだちのこえ だあ、るま、さん、が、

佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』沖積舎,2001

(新装版:現代短歌クラシックス04,書肆侃侃房,2020)

 

「ガスタンク」。街なかでときおり見かけるあの大きな球体のことを思い浮かべる。

そこを「こわごわみれば」なる状況に、日常的に触れることはおそらくはできないだろうから、ここでは非日常の延長上に作中の主体が置かれているのだと理解します。

 

どことなくジャパニーズホラーのワンシーンを思い出してしまう様子です(そこではガスタンクではなく貯水槽ですが)。

「こわごわ」と語られているそれは一見、大きくて危険な「ガスタンク」を覗き込むという行為そのものにかかっているようでありながら、輪をかけて恐怖の予感を煽るものとして「ともだち(のこえ)」が登場します。

 

ネットフリックスで話題となった『イカゲーム』でも、「だるまさんがころんだ」で生死を試されるおっかないシーンがメディアで頻繁に取り上げられていましたが、この歌の発表されたのは『イカゲーム』はもちろん、先述のワンシーンを含む『仄暗い水の底から』(2002)よりも前のことなので、わたしたちの潜在意識として、幼少期に遊んだ「だるまさんがころんだ」にはどこか染みついた怖さがあるのでしょうか。

 

この歌ではそのフレーズが、「だあ、るま、さん、が、」ときれぎれに書きおこされている。まん丸のガスタンクの中で輪唱するその声にぞっとさせられ、わたしたちはその遊びの参加者さながらに息を止め、身を固くする。

ここに、現実の読み手にまで作用させる、不可思議な言葉の力を体感することができる。

 

そしてこの歌には、一文字も漢字が使われていない。「だるまさんがころんだ」を無邪気に遊ぶことのできる子供でも読む/詠むことのできる文体でありながら、さながら葛原妙子の「さんた、 ま、 りあ、 りあ、 りあ」、さらには塚本邦雄の「嬰児みなころされたるみどり」を彷彿とさせられる、その語り口に戦慄したのでした。

 

 

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