山下 翔


ひとを吐きひとを吸ひゆく夕駅の漣の音はおもひみざりき

篠弘『司会者』(砂子屋書房、2019年)

 

夕方の駅が「ひとを吐き」また「ひとを吸ひゆく」。降りるひとも乗るひとも多い、わりに大きな駅を想像する。一日をおえて帰ってくる人、あるいは帰っていく人。その群衆のなかのひとりとなって街上にある。

 

こういう状況に「人波」ということばを当てたりもするが、ここではまさに「漣」の音がきこえるという。歌集では

 

ひとを吐きひとを吸ひゆく夕駅のさざなみの音はおもひみざりき

 

とルビが振ってある。息をもらしながら、話しながら、また身をよじりすれちがい音をたて、あるいは靴を鳴らし、さまざま音がまじりありながら人の出入りする駅は、さながら汀のようである。

 

「おもひみざりき」であるから、まさか(ほんとうに)さざなみの音がするとまでは、おもいもしなかったのである。「人波」も「ひとを吐きひとを吸ひゆく」の反復も、人の〈動き〉を見つめている。そこに〈音〉がともなう。比喩であったものが、もうひとつ奇妙な臨場感をもって迫ってくる。「おもひみざりき」のひとことが、読者のわたしのこころにも重なるようで、説得力をうんでいる。