眠らない子を叱るときにわれの言うちゃんと寝なさいのちゃんとって何だ

小田鮎子『海、または迷路』(現代短歌社、2019年)

 

なかなか眠らない子を叱るときに、「ちゃんと寝なさい」とつい言ってしまう。でも、その「ちゃんと」って何だ、という自問。

 

自分が「子」の側だったころをおもいだしてみる。「ちゃんと寝なさい」と言われたのだとおもう。それでそのときは「ちゃんと」って何だよ、とおもいはしなかったかもしれないが、似たような体験は「子」の側にいるときにはいくらもあって、すこしものを考えられる、それをことばにできるようになってくると、やはり「ちゃんと」って何だよ、とおもうのである。

 

その「ちゃんと」って何だよ、とおもう「子」の側の感受性がまだ残りながら、しかし「眠らない子」は眠らせなければならない。(「眠らせなければならない」?)つい、「ちゃんと寝なさい」と言ってしまうのだ。姑息といえば姑息。でも、そうだとして、ほかに何と言ったらいいのだろう。もうとっくに「子」の側にいないのだが、そのことの苦しささえにじむ。

 

大人は、親は、母はつらいよ、という話ではない。でも、どうしてこうなったのだろう。「ちゃんと」って何だよ、と自分に腹が立つような、困惑するような、あきれるような。「ちゃんとって何」でも「ちゃんとって何だよ」でもなく、「ちゃんとって何だ」というところに、みずからへ刃をつきつけるような凄みとあやうさがある。

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