浴身のしづけさならむやまなみの蒼きを曳きて月上がりをり

國清辰也『愛州』(砂子屋書房、2022年)

 

やまぎわから月がのぼって、今ちょうどその姿がすっかり見えたころだろうか。日の出、日の入りとちがって、月の出、月の入りというものをじっくり追って見たことがない。いくらも幻想的なムードがただよう。

 

この一首はそのもの「月」という一連にはいっている。連作では、月の出ようとするころから、それが中空に位置をとるまで、さまざまに視点をとりながらうたわれている。なかで、ひときわ印象的だったのがこのうたである。

 

「浴身のしづけさならむ」、湯につかっているときのたいらかなこころ、しずかなひとときを月のからだに見ている。空という、あるいは夜という、おおきな湯舟を想像する。

 

うたは二句切れでふたたび立ち上がる。

 

視点はぐーっとうしろへさがって、全体をとらえている。つらなりならぶ山々が、夜の気をまとって「蒼」い。それを「曳」くようにして、月の位置がある。「浴身」と「蒼」が縁語のようにゆるやかにつながり、一首をごく自然なものにしているようだ。

 

月もやまなみも濡れるようで、おもむきふかい一首である。

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