ながらへて 八十やその命の花あかり。老い木の桜 風にさからふ

『バグダッド燃ゆ』岡野弘彦

「花あかり」に照らされた「八十歳の命」が、深い気息とともに詠まれている。だが、初句の「ながらへて」という言葉には、「花あかり」という言葉にほのかに照らされながらも、底に苦さがにじんでいるようだ。さらには「老い木の桜 風にさからふ」と歌われて、抵抗感さえも浮かびあがる。古来、桜を詠んだ歌は無数にあるが、「八十」の心がこんなにも重層的に映された桜は少ないのではあるまいか。

太平洋戦争で同世代の多くが戦死した中で、自分は生き残ったと語っている岡野は、その戦後を「ながらへて」という言葉を携えて生きてきたのであろうか。『バグダッド燃ゆ』(二〇〇六年刊)の次の歌集『美しく愛しき日本』(二〇一二年刊)に、「わが二十の桜」という一連があり、岡野にとっての桜の原点というべき情景が歌われている。その中に「幹焦げし桜木の下 つぎつぎに 友のむくろをならべゆきたり」という一首がある。これを見れば、岡野にとっての桜への愛憎の深さが十分に理解できよう。その「二十の桜」とこの「老い木の桜」を重ねつつ、いよいよ「八十の命」の哀歓を知る時なのであろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です