桜に雨 父はちいさな顔をして枕の上に目をひらきたり

『記憶の椅子』中津昌子

歌われているのは二つの情景である。「桜に雨」という外の景色と、おそらくは部屋の中で「ちいさな顔をして」「枕の上に目をひらいた」「父」の姿。二つをつなぐ言葉はなく、ただ映像として並置されているのみである。しかし父の方の描写に言葉が尽くされているので、こちらに思いがかかっていることは確かだろう。この父はおそらく老齢であり、「ちいさい顔」とは文字通り老いて萎んだ顔なのか。その父が「枕の上に目をひらきたり」というだけなのだが、その表情にはなにか空虚な感じがあり、見つめている作者のまなざしにも父の空虚が移っているようだ。そして、――父はあるいは雨の音で目覚めたのかもしれない、桜も終わりかと思っているのかもしれない――などという、作者の意識の流れを読者に喚起する。冒頭の「桜に雨」の気分が全体を支配している歌である。二〇二一刊行。

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