とり入れに人働けばいづくにも稲の香があり沈む日あか

『木枯ののち』板宮清治

 稲が実りをむかえて刈り入れる時の情景は、いわば日本の秋の象徴的風景であろう。少し前までは市街地の周囲にも残された稲田風景を目にすることができたが、近年はかなり遠くに行かないとこの歌の風景には出会えない。作者は岩手県金ヶ崎町で農業を生業としている。秋の収穫の時がきて、いっせいに稲のとり入れが始まると、「いづくにも稲の香」が充ちるのだという。その香しい風景の果てには秋の「沈む日」が「朱く」燃え、それを背にして「人」が働いている。まさに人と農と自然の関わりが見えわたるような歌である。現在の暮らしがそうした風景から隔てられていても、「稲の香」を郷愁のように記憶している人も多いだろう。

ところで、田植え、刈り入れという米作りの暦は、昔より一か月ほど早くなっているようだ。早い方が稲の開花期に台風の被害にあわずに済むという利点があるらしく、また農作業の機械化もそれを可能にしたのだろう。しかし、一か月早まったために、蛙や蜻蛉や燕などの生態系の暦が壊れてしまったことも、淋しいことではある。一九八九年刊行。

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