狗子草ゑのころぐさの穂が街の灯に透けてゐるレコード屋のあつた角をまがると

『バックヤード』魚村晋太郎

 この作者の歌を読みながら、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「言葉は、共有する記憶を表す記号なのです」という言葉を思い出した。それは、時間や空間の輪郭が薄い記憶や夢や、また未知のものへの想像力を刺激されるからだ。歌われている情景や人の意味は曖昧なようで、妙に読み手の感覚を目覚めさせる。その感じがなにか甘美なのである。この歌の「レコード屋のあつた角」も場所の意味は明らかではない。「あつた」とあるので今は無いわけだが、そこにはどんな記憶のレコードが廻っていたのか。そしてその「角をまがると」、「狗子草の穂が街の灯に透けてゐる」という。狗子草の穂、レコード屋、角など、細部は鮮明に見えてくるのに、全体の意味がぼやけているところが夢に似ているのである。ただ、こんな情景を見た記憶はあると思わせ、何かを暗示する。また「ひだまりを汲む井戸がある匿ってくれたあなたのちひさな庭に」という『伊勢物語』の筒井筒の歌を思わせる一首では、「あなたのちひさな庭」の「井戸」にわたしの記憶も眠っていたように、遥かな「ひだまり」が見えてくるのだ。二〇二一年刊行の第三歌集。

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