『断腸歌集』瀧澤亘
「人妻」の美しく見える日は「心飢ゆ」という。単刀直入の率直な告白が胸を打つ一首である。「われ」のその心の飢えの激しさは、「黄落の森」が「むごく」匂い立つためと歌われている。木々の落葉が降り積もった森の匂いが、性的な欲望を刺激したのであろうか。病者ゆえの鋭敏な感覚というべきだろう。一九二五年生まれの作者は、結核のため三十代前半より療養生活を余儀なくされ、癒えることのないままに四十一歳で死去した。この歌は最晩年のものであるが、美しい人妻への渇仰も、黄落の森の匂いのむごさも、まだ若いいのちの瀬戸際を激しく、悲痛に揺すったのだろう。冒頭の「人妻」という、いうなれば通俗的な言葉が、かえって生きることへの執着の強さを思わせて切ない。また「ありなれて病めばこの日の夕映えにラジオの妻が夫(つま)を呼ぶ声」とも詠むように、「妻」という存在への憧れを歌いながら、独身のまま生涯を終えたのである。一九六六年刊行。