『天意』桑原正紀
秋は、とくに中秋を過ぎると「ものの影」はぐっと濃く、深くなる。その日はよく晴れていたのであろう、「苑」の中を行く作者をふくめて、木草も椅子も、なべてのものは濃い影を地に引いている。その光と影のくっきりとした光景を、「時」の止まった「いちまいの絵」と作者は直観したのだろう。あたかも「秋の苑」と題した絵が見えてくるような歌だが、作者もまた絵の中の人物と化して静止しているのである。そのとき、生死という時間の縛りから解かれて、「天意」という言葉が作者の胸に落ちてきたのかもしれない。「散り敷ける落ち葉の上を車椅子押しゆけばをりをり小石を踏むも」という歌がつづく。「車椅子」とは永く介護をつづけてきた妻の姿であろう。車椅子の者も、歩行する者もひとしく秋の空の下にいて、「をりをり」踏む「小石」の音を聞いている。生きている時を密かに確かめるように。二〇一〇年刊行。