権力はこのようにして打ち上げたフライをレフトは取り逃がすのだ

佐クマサトシ『標準時』
(左右社、2023

困ったことにこの歌には主語がふたつある。「権力は」そして「レフトは」。片方が本物で、もう片方は噓の主語だとすれば、文脈からしてふつうは「権力は」のほうが噓だと思うだろうか。いっけんなんの変哲もない三十一文字の歌の中に、奇妙な断片が挟み込まれ、一首全体の意味が無効化される。選挙期間中にネットサーフをしていると、自分の見ていたこととはまったく無関係に突然政治家の顔がポップアップして政党のコマーシャルが始まる。それに似ているかもしれない。そういう仕掛けのある歌はいままでもたまに見かけることはあったのだが、この歌ではその異質な断片が最初に置かれている。なるほど「権力」なだけはある。堂々としている。

このようにして打ち上げたフライをレフトは取り逃がすのだ

こんなふうに噓の主語を取り払いさえすれば、この歌は単なる野球談議のようにも見えるであろう。とはいえ、これでも語順であるのか、あるいは「取り逃がすのだ」という奇妙な断言であるのか、不思議な部分はまだ残されている。野球の話で、この大げさな口調はおかしい。なんとなくまだ「権力」の匂いがしている。たぶん冒頭に「権力」が持ち出されることで、野球という他愛のない庶民のいとなみが、まるで猫ににらまれたねずみのように委縮している、あるいは、襟ぐりから突然大きなステンレス製の金尺を差し込まれたかのように、奇妙な背筋の伸ばし方をしている。

この歌にうたわれている「権力」とは、きっと政治家でも野球チームのオーナーでも、秘密警察のたぐいでもない。それはおよそ人間の形をとることのない、運命の帰結をつかさどる絶対的な法則、あるいは〈システム〉のようなもの。なんだか説明しにくいのだが、その種のものであるように私は読んでみる。フライを取り落したのはたしかに「レフト」その人だが、もっと上のレベルでその運命をあやつっている〈システム〉がいる。権力と名付けられたシステムとレフトが二人羽織で野球をしているのである。

語られた話について語り合う僕らの間に生けてある花
たまにしか公開されない仏像が公開された後され終わる
すべての実験はあらかじめ成功している 今はしまってある車止め
道端にトラックがいてトラックに占められているその空間の

四首目にいう「実験はあらかじめ成功している」。それは条件そろいさえすれば、〈システム〉が一定の結論を出し続けるからだろう。『標準時』という歌集には、その実〈システム〉を見極めようとするまなざしに満ちている。「語られた話について語り合う」あるいは「仏像が公開された後され終わる」と、至極単純なことを言っていながら、そんなまどろっこしい言い方になるのは、生活のなんでもないある瞬間を引き延ばして、そこに隠されているシステムの姿を見出そうとするからだ。いっけん奇妙な歌ばかりが納めているようでありながら、その奇妙さは〈システム〉という世界の基本への、もっともスタンダードであるはずの問題意識に起因している。

空襲と空襲の間に空襲のない時期がありどう?この帽子

「空襲と空襲の間に空襲のない時期」。この言い回しには、今ならば多くの人がガザを襲う惨劇を連想するかもしれないのだが、「空襲のない時期」とは、現在の日本のことでもあるのかもしれない。「どう?この帽子」という平穏にいる人々に向かって、〈システム〉から逆算された運命が告げられている。

 

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