『ゴダールの悪夢』尾崎まゆみ
「あの三輪山の背後」とは、いうまでもなく山中智恵子の一首、「三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや」を指すのであろう。同じように三輪山の「月」を仰ぎながら、尾崎はそのとき、山中が歌った「月」を思っているのだ。山中の歌が、「はじめに月と呼びしひとはや」と言葉の始原を歌っているとすれば、尾崎はいわば、自身の詩想の源を思っているといえるだろう。「おほぞらに月と呼ばれるもののかげ」とあるように、そこに山中の感受した「不可思議」の「かげ」が見つめられているともいえる。歌に限らず、あらゆる詩想や表現にはすでに先蹤があるということをうべなえば、その先蹤の言葉やイメージを自在に重ね書きしてつくられるのが、尾崎の歌の世界ともいえるだろう。重ね書きするものは歌のみに限らない。「クリムトの描くユデット虹彩のすこし開いたところを覗く」と歌うように、ユダヤの村を敵から守った「旧約聖書外典」の処女ユデットもその一人である。二〇二二年刊行の第七歌集。