秋のいのちあふれて草の実をこぼす秋津の径はわがゆかねども

『鎮守』上田三四二

 上田三四二の最晩年の歌で、いうまでもなく、もはや病床から立ち上がることができなくなっていた日のものである。季節は晩秋、かつて病身を携え歩いたあの「秋津の径」には、「秋のいのちあふれて草の実をこぼ」しているだろうと歌う。「わがゆかねども」といいつつ、もう行くことのできないその「径」に、草々が種をこぼしているところをありありと目に映している。それはいわば、自身の生命の終わった後の景色を見つめているといってもいいのだろう。「秋のいのちあふれて」という言葉の静かさが、ことさらのように胸に響いてくる。また病床の上田は、「目覚むれば病臥のわれをさしのぞくかぼそき朱のみづひきの花」などというように、水引やねこじゃらしや犬蓼など、野の草花たちと生命のやりとりをするような歌を多く詠んでいる。それは彼の最期のぎりぎりの日常から生みだされた、平明な、自我放念の生命の交流ともいえるだろうか。一九八九年刊行。

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