『あめつちの哀歌』高尾文子
「ふるさと」から遠く離れて暮らしている作者なのだろう、「ふるさとは秋ふかむころ」という言葉が理屈ぬきに故郷への思いの深さを伝えている。その思いの中に浮かんでくるのは、「屋敷木」の「松」の姿であるが、「標顔」とあるので生家を象徴する木なのだろう。「松も老いしか」という言葉には、自身の老いがひそかに重ねられていることも確かだ。しかしそのふるさとへの思いは、なによりも「屋敷木」の「松」という映像によっていっそう鮮やかになっているようだ。つまり郷愁という風景が、一つの映像をもつことによって、はじめてくっきりと定着しているのである。映像といえばまた「うら若き父母と並べる四人姉妹の家族写真の中の昭和史」という歌もある。「写真」というメディアの再現能力に触れた歌だが、ここでもやはり、作者の生きてきた時間や時代を、紙のうえに刻印された一カットが蘇らせている。二〇二〇年刊行の第六歌集。