『ヘクタール』大森静佳
二十世紀のイギリスの作家ヴァージニア・ウルフを読んでいた時期があるので、この歌は出会った時から気になっていた。作家の名前を初句に据え、一字開けて「鱗の手触りをずっとおぼえている」という言葉がつづく。「鱗の手触り」というひんやりとした尖る触感は、ウルフの文学へのものか、ウルフの人生か、人そのものを指すものか。大摑みにとらえた言葉ながら、妙に強く記憶に残る。気鬱の体質を生きたウルフだが、小説、評論、出版業など多くの仕事をこなし、六十歳を過ぎたある日、水死自殺を遂げた。季節は四月であったが、死体は数週間発見されなかったという。そんな知識が、「鱗の手触り」や「冬」というウルフへの解釈を納得させるのかもしれない。この歌は、おそらくヴァージニア・ウルフという白銀の光のような存在へのオマージュであり、ウルフから大森へと流れる意識を感じれば、それでいいのだろう。二〇二二年刊行の第三歌集。