あめの外をずっと眠っていたい日に窓のある封筒が届いた

川村有史『ブンバップ』
(書肆侃侃房、2024)

なにやらすごい歌だと思う。これだけで言いたいことがいくつも頭に浮かぶ。

窓のある封筒というのは、しばしば会社や役所から送られてくる、大切な書類が入ったアレのことだ。たいていはお金にまつわる書類で、もしコレコレの金額を期日までに振り込んでくださいという内容ならば、無視していると電気や水道をとめられたりすることになる。そして決めつけることはできないのだけれども、この歌を見るかぎり語り手はどうも、その「封筒」に入っている書類には関心が薄くて、中身よりも封筒そのもののほうに注目しているのではないか。

もちろん、主人公なりの文脈でこの郵便物に注目しているわけだから、まったく見ていませんでしたとかいうよりはずっといい。外はずっと雨が降っていた。天気が悪いから、家の中で眠っていたかった。しかし、そんなときに「窓のある封筒」が届いた。主人公はむしろ「窓」が届いた。と認識しているようにも見える。つまり、眠っていたいと思った主人公に、外を見よ、と窓が届けられた、そのように感じたのではないか。

しかし、その読みで本当にいいのか、心もとない。だって、この歌の出だしは「あめの外をずっと眠っていたい日」なのである。あめの外を? 雨の降っている屋外で濡れながら眠りたいという意味になりはしないか?

高速な道路を久しぶりの友達と走る 風 これは気持ち良さ
この蜘蛛はメンタルの個体だって巣がでかいどんどん広がってくる
海沿いの感覚が残っている散策 消そうとするとながれこんでくる
生き物の犬がわたしを引っ張ってすごい速度でハァハァの中

そんなことを思いながら『ブンバップ』のページをめくっていると、やはりいっけん不可解に思える歌は多い。高速道路を車で走って気持がいいというのはわかるが、それは本当に風のせいなのだろうか? 車のスピード(「高速な道路」とわざわざ言っている)や友人との再会もその感情を手伝っているのではないか。二首目は、この言い方だと蜘蛛の巣が目の前でみるみる巨大化しているかのようだ。
ここに引いた歌に共通するのは、主人公が抱いた刹那的な感覚・感情が、まるで主人公自身を包み込むように圧倒的な堆積をもって「ながれこんでくる」ということ。掲出歌で、主人公が窓の外いるのか内側にいるのかまるでわからないような語法がとられるのは、外は雨!という感覚が自分を包み込むように巨大化するからではないか。

ところでこの歌集にはお金にまつわる歌も多くて、「窓のある封筒」にちなんでここに紹介しておくことにする。

親指とひとさし指でお金持つ薄くて軽い花びらのよう
五円玉落としてみると音がする千円札は少し聴こえる
千円札を千円札と千円札の間に挿し込む 3000
ころがった硬貨は自販機の下で桜の面がおもてだろうか

私には、ずっと魅力的に思っていてしばしば引用するけれど、実はぜんぜん理解できていない、永井祐の「大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円」(『日本の中でたのしく暮らす』)という歌があるけれど、ここに引いた川村の歌を見ていて永井のあの歌についても初めてちょっとわかったような気がした。人間は、お金という、ただの数字に過ぎない情報にそれこそ圧倒的な体積で包み込まれるほどの感情を抱くことができる。この感覚はお金が電子化され画面上の数字の動きでしか見れなくなりつつある今、余計に強くなっているだろう。しかし、外の雨や犬のハァハァに瞬間最大風速的な感情を抱く主人公は、むしろこのお金というものに市井の人々のような感情を抱くことができない。お金は数字の描きこまれたただの金属や紙片という物質にすぎず、ときどき桜の絵がついているらしい……。

現金に対してそうなのであるから、窓のない封筒で請求されたお金にも切実感が抜けてしまう。こんな歌は他人が詠もうと思って詠めるものではない。われわれはただそのお金が無事に振り込まれることを願っていることにしよう。

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