こんなにも真白きイオンの片隅に喪服は黒く集められをり

門脇篤史『微風域』
(現代短歌社、2019)

むかしはジャスコといったのだが、いつしかイオンとよばれるようになった、あのなんでも売られている大きなお店。化学の授業で習ったイオンをも想起させるせいか(綴りはちがう)、ただでさえ無機的な印象があるうえに、ここではさらに「真白き」と形容している。今や全国津々浦々にたてられた、しかし内側にいるとどこもたいしてちがいがわからないほどに画一化されているイオン。そして、ショッピングモールを舞台にしておきながら、「真白き」というダメ押しによってこの一首からはふしぎと人の気配が排除されてもいる。その片隅に集合した喪服は、人類の滅亡後、ショッピングモールに残された喪服たちが夜な夜な勝手な葬式を繰り広げている——そんなイメージを抱かせる歌だ。

同じ喪服ということでいえば、この歌集には

誰の死を求むるわけにあらざれど買ひなほしたる黒きネクタイ

というよほど人の気配のする一首があった。もしかすると死期のせまった親戚などがあって、準備よくそのネクタイを買ってしまったということだろうか。けれど、「その人の死を…」のようないいかたではなく「誰の死を求むるわけにあらざれど」といううたうからには、もしかすると本当に誰の死の「予定」もなく、潤滑な社会生活のため備えとしてそれを買ったということがどうやら考えうるのである。私のようないつもバタバタの人間からすれば想像を絶する準備の良さである。もちろん不謹慎とかいうことではなくて、単純に。

すると、この歌からはだれか特定の人の死というイメージが剥落することになる。誰かが亡くなる、通夜や葬儀がある、それはいつも急なことだ、ゆえにふだんの備えとして黒のネクタイは点検しておくべきだ、そして、古びているなら買いなおすべきだ。社会というシステムに裏付けられた、そんな冷静な思考がうごいていることになる。人の気配がするから、と引用したこの歌も、いつしか理路が前面に出て人々の存在が後退していくようなのだ。

閉ざされた世界の中にひんやりとはさみの音は響いてゐるか
間違ひがあつてはならぬそれゆゑに六万枚を数へるひとひ
こんなにも眠たき人に支へられ未来を作る仕組みは聳ゆ
妻のいふ仕事の愚痴を聞きながら異界にそびゆる塔を思へり

歌集の中では日々の仕事に消耗しながら(それはもちろんとても人間的な疲れなのだが)、一方でこの主人公はいつも、人の気配のない、すべてが自動化されたひとつの、ときに異界とも表現される「ひんやりと」した「真白き」部屋を抱え、ことあるごとにその部屋の存在を確認しているような印象がある。きっとくたびれながら社会で生きているすべての人の胸の内にある無機的な部屋。なのにこの人だけが気づいている。

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