『春戦争』陣崎草子
春の日はきみと白い靴下を干す つま先に海が透けてる
という作品も取り上げた一首には続いていて、靴下のような対を、またはそれを裏返したような表裏を成している。ベランダ越しの光をほのかに透かしているリブ編みの繊細なまっすぐな線から私は目をそらすことができない。
いずれにせよ海は遠い。布地の向こうに、靴下を履く体の奥に、海はきらめき言葉の限りにたゆたう。「とおいとおい」……この読み流してしまいそうな初句はどこへ向かうのだろう。一首のどこにも直接繋がってはいないので、たぶん人知れずどこかの海へとそっと流れていったのだと思う。あたかも草舟のように書かれた「戦艦」は実物よりもきゅっと小さくなり、初句が生み出したリフレインごと遠さのなかへ飲み込まれていく。あるいは。そのときの海の大きさはどうだろう。目に見える以上のことはもし存在しないのだとしたら、視野に収まらない海に大きさは存在しない? または、「戦艦」が小さくなったのではなく、「ふたり」が船を手のひらで包み込めるほど膨らんで大きくなっているとしたら?
このようにあえて曖昧に残されたフレームが、一首をしなやかに伸縮自在なやり方で囲っていて、なによりも「誰も殺さぬ戦艦」というフレーズのために言葉の磁場が強く撓んでいる。ほんらい、戦艦は見知らぬ誰かの命を奪うためにある。もしかしたら戦艦にもいろいろと役割があるのかもしれないが、「誰も殺さぬ」と前置きされれば前提はやはりそうなるだろう。ここでは「誰も殺さぬ」、それでいて「戦艦」という役目を負った存在があり、この船は矛盾した言葉のはざまをいつまでも半透明の鉄の身体で生きている。言葉は「ふたり」において交わされるさいにもっとも強固であり、すなわち人と人の間に伝えられる瞬間に強固であり、そのように言葉に備わった特異な約束……鉄という金属が思いがけず飴のように撓みゆく様を、船は積荷として船倉にひっそりと積んでいる。言葉の中だけにはじめて生まれた誰も殺さない戦艦は、尊い希望となる。
こんな強度の歌もある。「群にまぎれて喉を光らす」とは、今度は一人きりの意気込みを思わせてこの歌集にときおり見られる颯爽とした、孤独な、身じろぎするようなたたずまいの延長にある。けれども言葉は軽やかで弾んでいる。身じろぎの中を生きる私が、半透明の肉となってそっと、しかしながらたくましく現れる。
つよい願いつよい願いを持っており群にまぎれて喉を光らす
かたちのよい建物から去り〈cherry blossoms譚〉ぼくらは新しくなる
