井口可奈『わるく思わないで』
何人かで集まっていたとして、第三者からもし唐突に「あなたたち」と言われたなら、とっさに第三者の立場に心身が移動して、第三者の口から発せられた「あなたたち」を肯い「あなたたち」として振る舞うことになるのだと思う。が、これは第三者がそう言いそれを自然に肯うことで発生した役割であり、その役を担うのかどうするのかは本来こちら側の問題である。この一首はその役割を断っている。「あなたたち」というオファーを断り、あくまで「わたしたち」であろうとし、「わたしたち」の立場を譲らずに「わたしたち」であることをパーレンの内部でゆっくりと咀嚼し消化している。「あなたたち」という名指しによって反射的に浮かびあがった「「わたしたち」」をありがたがらない。パーレン内部は、「「わたしたち」は反射的な存在ではないのだ」ということをみずからに練りこんでいくようなじっくりとした感触がある。
ここにあるのは同調ではなく対立のようにも見えるけれど、同調がそもそもまぼろしであること、同調というまぼろしがときに危ういものであることをよくよく理解しているのだと思う。危険を感知するセンサーが「あなたたち」であることを肯うより速く作動している。
つづく「ゆっくりすべりおちる滑り台」はさまざまな読みを含みうるイメージで、人が滑り台をゆっくりすべる映像と滑り台そのものが土台からくずれて落下していくスローモーション映像が二重写しになる。滑り台とすべるの関係性から浮かぶのは人がすべるイメージだが、そこに「おちる」という動詞が入ることで微妙な不協和音が鳴る。「すべりおりる」の角度を超えて「すべりおちる」はほぼ垂直で、すべる人を乗せながら滑り台自体もふいに落下していく、そういう言葉の色合いとなる。
「対立」とは関係性の落下のようなものだ。が、まぼろしのなかで落下せずにいることよりも落下したところからはじまるものを目指しているのだろう。落下してそのまま終わるかもしれない賭け、そういう捨て身の潔さに身が切られるような歌である。
あの服みんな着てるよなって服が服屋ですこし違う色
韓国の化粧品わたしに読めない文字があるのは救いなのかも
人間じゃなくてもあなたはあなただよちいさいいちごすべての季節に
ゆっくりと値札を剥がす家族には言えないことを思い浮かべて
春の海すっかり白くなった腕 にくんでいない ひとりひとりは
『わるく思わないで』には「わたし」という孤絶のふちを丁寧になぞるような歌が点在している。しかしそれはときとして他者という孤絶のふちを知らずしらずのうちになぞる行いになっているのだと思う。
