伊舎堂仁『感電しかけた話』
ほんとうはこの歌の次の歌を取り上げるつもりだったが、この歌が目に入ってふいに笑ってしまったので引用した。「鳥人間コンテスト」は長らく続くテレビ番組で競技部門はわたしの知っているかぎりだと滑空機部門とプロペラ機部門があったはずである。この運転手さんがどちらの部門の鳥人間かは即答できる。プロペラ機部門である。滑空機部門は「ずっと喋ってる」というほど長時間飛ぶことはなく湖に着水してしまう一方、「プロペラ機部門」は技術の進歩もあってか1時間以上飛んだりする機体もある。「ずっと」飛んでいる。こうした機体の内部にはだいたいカメラがあって、飛んでいる最中の操縦士の言動が映されるのだが、たとえば「まだまだ行ける」という自己激励だったり「足がつった」というアクシデントの声が番組では流されていたように記憶している。この歌の~くらいが「ピン芸人くらい」だとタクシー車内(この歌はどこにもタクシーと書いていないが)におもしろさという意味が発生して一首はおもしろくなくなるところ、「鳥人間コンテストくらい」によって車内にはその発言によるおもしろさが発生しない。「鳥人間コンテストくらい」は厳密には「ひとりで」と「ずっと」にかかる言葉なのだけれど、当然その余波は発言内容にも及んでくるしひいては操縦士と運転手の類似や、狭く閉ざされた空間の類似、また別方向にいる相手を意識しつつ無人の前方にむけて喋る構造の類似を引っ張り出す。この歌がおもしろいのはひとり喋りつづける運転手がおもしろいからではなく、さまざまな類似のなかになぜか存在してしまった乗客の異物感がもたらす道理のなさによる。
鳥人間コンテストの機体は一人乗りである。そこに無理やり入り込んでしまったような違和感。きちんと道で手をあげ、もしくはタクシー乗り場から乗って行先を告げて現行のからくりに沿って乗車したのに、鳥人間コンテストを持ち出したばっかりに違和を感じる立場にあるはずの自分がその違和感の源になってしまう現象。純度の高い不条理である。そしてこの不条理を離れた場所から見ると、笑ってはいけない場所で笑ってしまうときの口と鼻の空気の噴きだす感じで笑ってしまう。
アルフォートのチョコレートのところでついた指のチョコレートを拭いています
『感電しかけた話』に手懐けられているともう「アルフォート」だけで噴きだしてしまったりする。ふつうの状態であれば「アルフォート」に何もおもしろさはないはずなのに、手懐けられた脳になってしまうと「アルフォート」に「チョコレートの表面に細密な帆船が彫られていて高級そうなのになぜか駅前の薬局の入り口でいつも特売されているお菓子」というイメージがこびりついてくる。不条理なお菓子だと思う。これが「たけのこの里」だったら二句目以降がまったく同じだとしてもこの一首のおもしろさはほとんどゼロになる。アルフォートはまったく悪くない。むしろたまにわたしも買って食べている馴染みのお菓子だ。だからこそやはり笑ってはいけない感じになってから笑ってしまう。そして笑ってしまったあとひとりで気まずい感じになる。後味の悪さに向き合う時間も含めての一冊であると思う。
ちなみに掲出歌の次の歌は
転落に注意 じゃなくて荷台から落下するな! と貼ってある夏
である。
