物質に引力はありポーチ数多買へば赤いポーチをいただく

岡本はな『川へ行く道』

 

よく聞く話にお金はお金のあるところに集まる、というのがある。そういうものかと思っていると宝くじに当たった人がアンコントローラブルになってあっというまに破産したという話を耳にしたりする。ものには引力があると言いながら、こと一番手元に集まってほしいようなものに関してはなかなかうまくいかない。掲出歌ではその代わりにポーチが手元に集まっている。まず、ポーチをたくさん購入するというシチュエーションが謎めいている。ポーチはだいたいひとつあれば足りるもので、たくさんのポーチを購入したことに何かしらの訳があるのだと思うけれど、歌のなかにその訳は出てこない。だしぬけに「ポーチ数多買へば」のがくがくとした三連続の三連符で買った事実だけが提示される。この時点でポーチのかずかずは通常を超えた質量の塊となり、内容面からもリズムの面からもぎゅっと凝縮しているのがわかる。読み手は意味もわからず凝縮されたポーチの質量に出会う。そして質量は引力を生む。たとえば下手な改作をすれば

 

物質に引力はありたくさんのポーチを買へばポーチをもらふ

 

という感じになるだろうか。一首のながれは整うとしてもこれは下手な改作である。およそ数日のうちにいくつものポーチが集まるという異常事態がスムーズな歌のながれのなかに見失われてしまうし「赤」という色もどこかへ行ってしまう。この歌にとって「赤」は欠くべからざる異常事態の色なのでこれが消えてしまったらとてももったいない。そう考えると原作は原作として動かしがたい力を持っているのだということがはっきり見えてくるはずである。

原作に戻れば「いただく」も味わい深い。「ポーチをもらふ」で結句七音になるところをあえてそうしなかったことで、異常事態をありがたく受け取っているような奇妙なニュアンスが生まれている。日常はそっけない顔をしていながら往々にして奇妙なふるまいを見せるものだと思う。その奇妙さが消されることなく、歌の崩れたようなバランスのなかできちんと息をしている。この一首のバランスのなかでのみ、この奇妙さはなんとか息をすることができたのではないかと思うのである。

 

水道は水のはずだがいつまでもぬるくて怖いやうな夜だな

 

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