『運ぶ眼、運ばれる眼』今井恵子
ニュース映像の印象的なシーンで「街頭で号外が配布される」というものがある。スポーツの記録到達や優勝といった場面が多いのだろうか。情報を手に入れるのにあまりにも困らなくなったこんにち、号外という制度はまだ続いているのだっけ。「号外」というしくみが身近なものではなくなってゆくほどに、あれは単なる情報というよりも詩を配っているのだと感じられる気もする。通常よりも思い切ったレイアウトとなる紙面の巨大な見出しは、ほとんど詩であると思う。
新幹線でも、到着駅や目的地が流される横長の電光掲示板に、ときおりニュースが流れている。映像とかを流すようなしくみではないので、流れてくるのはひたすらに文字情報である。「佐藤錦の初出荷」とは、要するに佐藤錦というさくらんぼの、その年の初物が市場に出回り始めたというニュースのことである。言い換える必要もなさそうなのにあえて言い換えたくなるのは、つまり、「佐藤錦の初出荷」という文字列がいかに豊富に情報を含んでいるかということをつい言いたくなるからだ。さくらんぼの赤色のイメージが想起されるとともに、二度め三度めではなく初回の出荷であるということ、しかもそれは毎年繰り返されること、毎年ニュースになりうるほどの強度があるエピソードだということ。そういうふうに掘り下げていくと、「ニュースになるからニュースになるのだ」という循環論法にじょじょに接近している気もする。いっぽうで、さくらんぼという果物には、人それぞれの思い出みたいなものも付着しているだろう。ニュース自身がニュースであるというきわどいトートロジー、他方で人それぞれが持っている記憶や思い出の種子、そのいずれもが並び立って「佐藤錦の初出荷」という七字から展開されるふしぎが、意味深いテロップとして文章が流れることの妙なのだと思う。掲出歌には、ことごとく文字しか含まれていない。連作の中ではいろいろと触れてあるけれど、ここでは車窓の景色も鉄道の体感もきっぱりと捨象されている。文字について、文字によって語っている歌である。
なお、JR東海では2020年に無料wi-fiの整備を完了させるとともに、車内ニュースの配信を終了しているそうだ。ほら、詩になったではないか。
