『カメラは光ることをやめて触った』我妻俊樹
頭の中でなにかを思い浮かべるとき、記号として比較的くっきりとした像を結ぶものと、やや周縁のにじんだイメージとして立ち現れるものとがあるように感じる。「ナンシー関の記憶スケッチアカデミー」で格好の題材となるのがそのあたりの境にある事物で、今思い返しながら検索をすると、自転車、蛙、かまきりといったものが出てきた。自転車のタイヤやかまきりの鎌といった機能的な要素をデフォルメして表現することと、画像・映像としての記憶の蓄積から全体のフォルムを析出することの折り合いがうまくつかなかった場合に、「記憶スケッチ」がよもやの大傑作になるのだと思われる。
文字やアルファベットは、突き詰めると図の一種であるはずなのにふだん意識することなく、思い出す手間すら感じないまますらすらと書きだしている。文字については機能が果たされることが重要であって、(レタリングのような場面を除けば)フォルムをそれほど求められないためだろうか。「鳥居」はどうだろう。鳥居を目にするとすれば近場や遠出した先の神社に足を運んだ時だろう。もしくは、旅行にでも行こうと思って、現地の様子を調べてみたとき。ともかくその存在を目の当たりにするのは基本的には現実の光景の一部としてであって、文字のように紙の上にあるときではない。しかし「鳥居を描いてみよ」としたならば、けっこううまく描けることが多いのではないだろうか。少なくとも、自転車や蛙やかまきりよりは。調べてみると、鳥居とひとくくりにされても細部にはさまざまな違いがあるそうだが、細部がないからといって描かれた「鳥居」を認識できないわけではない。「鳥居」もまた、イメージを蓄積するという以上に、つねづね機能が果たされることを期待された存在なのではないかといえる(脱線するが、この場合の「鳥居」に近しい事物として「富士山」があたるのではないかと考えた)。
「鳥居」に期待するのは、ありがたさとか、神々しさ、厳か、再生、めでたさというイメージ。そこを訪れ、目にすることで、そのイメージの一部が自身に付与されるということ。「鳥居をいくつもくぐり」という下句の着地から、まずはそうした印象が身近に迫ってくる。「手荷物で坂をくだる」の部分。「手荷物」というのは辞書的には旅行のときにしか出てこない単語で、預けるか/持参するかという選択を喩的に示しているのが「手」である。だから背負っていようと担いでいようと「手荷物」と呼ばれるわけだが、ここでは坂道の重力の印象が重なって、どうも両手にボストンバッグを提げたような光景が思い浮かぶ。言葉がほんらいの持ち場を少しだけ離れて、浮遊しているような状態にある。ここまで来て「命が私にしたように」に触れることになる。「私」と「命」はどう考えてもつかず離れずであるので、こういわれるともう「私」には「命」は属していない。「鳥居」になんらかの機能や役割を期待するかのように、「私」は「命」に期待された存在となる。手荷物を提げ、鳥居をくぐりぬけているのは「私」ではなく当初「命」であったことがわかる。紙に書けば書くほど、記号としての鳥居がつぎつぎと再生産されるように、「命」がつぎつぎと「私」を再生産してゆく……
こんなふうに繙いてみるのだけど、『カメラは光ることをやめて触った』を読んでいると、どうにも読むことの罪というか、わかろうとする罪、わかりたさという罪に苛まれていくような気がする。罪という名付けが適切でないならば、葛藤とか、ジレンマとしようか。解釈という活動にはたまに釈然としないものが私にはあるのだけれど、この歌集は、文字の向こうからもときおり厚みのある手を差し出してくるから、たまらなく心惹かれて、少し怖い。
きみの徒党に夜霧の甲州街道が爪跡になるまで寄り添った
残照にぶたれた胸が晒されて灰皿も歩道も貰い泣き
ああ人に見せられる行き先にしちゃった ほんとにそこに行くんだろうか