『雉』上田三四二
「磁石」と題された連作から。ほかにはこうした歌が並んでいる。
通勤電車に入りゆくときにたちまちにはかなきまでに眼鏡の曇る
朝床に匕首もろともに遺棄されし体感覚はのこりて覚めぬ
くやしさを誰に告げむといふならず四年に一度花さく芭蕉
わりあい起伏の少ない作風の中で、「匕首」(「ひしゅ」と読むのが良いか)にどきりとする。「はかなきまでに」「もろともに」などがうまいのだろうなと思う。「遺棄されし体感覚」まではこの人はまだ命がない状態である。しかし「のこりて覚めぬ」とあって命を取り戻す。不穏な夢から覚めたということだろうか。命がない状態の中から、死をくぐって作品が生み出される状況は不可思議である。知っている状況の延長で考えるならば、明け方の起きるに起きられないだるい体のことを思い浮かべるとよいのだろうか。イメージを深めるにあたってはもしかしたら夢の身を刺し貫いたのかもしれない「匕首」が重要な役割を帯びている。それでも「遺棄されし体感覚」というものがどういったものかわからずに、わからないまま、もし仮に「死」が体の一部に残り続けるなら、こういう感覚であるはずだという手ごたえのようなものだけを置き手紙にする歌である。
通勤電車やくやしさによってむしろ彩られた、日常のやるせなさがあるのであろう。掲出歌はほかの作品に比べていくらか投げやりである。おそらく飛行機がエンジンを鳴り響かせながらどこかへ向かっている様子、しかし肝心の主題はきっぱりと捨象されているように感じられる。「南」を指す磁石はくるっているのである。ただそのくるいはエンジンの振動でわずかに「微動」するほどにささやか。主題とはなりえない「磁石」は小さくもどかしい存在であるが、「遺棄されし体感覚」のように何かの手ごたえを秘めているのではないか。やるせなくそこにあって、何かを訴えるという。