森岡貞香『白蛾』
『白蛾』が戦後しばらくの歌をおさめた歌集であることをとっかかりにすれば、その少し前の戦中、男性の髪はみじかく刈られたスタイルがほとんどだったのではないかと思う。特に軍人であればその上に軍帽をかぶり頭髪は押さえつけられていただろう。軍隊の行進を思い浮かべても歩を進めながらその顔は固定されていてぶれることがない。男性の頭部はつねにこわばりによってみずからを縛り、身体全体を縛りそれがひとつの正しい在り方として共有されていたのが戦中ではなかったか。終戦を経て現在、歩いている「われ」を抜き去り前をゆく男の髪の長さや歩くたびの揺れを見つめつつ、こわばりの解かれた時代への推移に涙ぐむ気持ちが兆したのだ、という読みができると思う。「ゆれふくらみをり」は「ゆれる」という左右の動きだけではなく「ふくらむ」という上下の動きをも含んでいて、男の弾むような足運びが十分に感じられる表現になっている。
というのが、読みのひとつの可能性としてありつつ、一首単独の感触としてはもっと分かりにくい脈絡、空間性があるような気がする。たしかに時代の推移という直線的な時間性も「男の髪」から「涙ぐましも」をつなぐ一要因なのかもしれないが、男の髪のゆれふくらみを目撃する機会はおそらく他にもあったはずである。同じような光景を複数目にしながら、そのなかのある一回だけが琴線に触れてくる、そいういう現象のことを思う。その場での自身の感情のポジションだったり、光景に含まれる光の量の多寡だったり、この歌であれば髪の長さや揺れかたの微妙な差異だったり、空気の乾き具合だったり、ありとあらゆる脈絡が「涙ぐむ」という一点に向けて整う瞬間=空間がこの歌にはあるのだとも感じるのである。「ゆれふくらみをり」の言葉そのもののからまり、また「髪」の一本一本の自在な動きが髪全体としてひとつの動きにまとまっていく感触。そうしたものが見えざるおびただしき脈絡の気配、脈絡の一致してゆく気配を引き出しているのではないか。いずれにしてもこの歌の単純ならざるものの気配は何度読んでもたしかに感じてしまうのである。
どの蟬もむしばみてしまひし子の標本捨てよといひてはては罵る
