『朝月』四賀光子
日本の温室効果ガス排出・吸収量は2023年度時点で約10億1,700万トンということだ(2025年4月25日環境省発表資料)。ほかの資料でもおおむね10億トン強と書いてある。1億人以上が暮らす成熟国家で、これほどの産業活動を行っており、また今やこれだけ体感してしまうほど環境への影響があるのに、億トンという単位はずいぶん少ないなあと感じられる。ただ一人当たりに換算すると9~10トン程度ということで、身近な気体であることを考えればこれは多い。重さなのか容積なのか、目に見えないためにいっそうイメージしづらいのだけれど。この問題には想像力が試されるのだと思う。
掲出歌は東京近郊の風景で、別の歌に「田端」という地名が出てくるのでそのあたりから見わたした景色になる。
動坂をひろらにゆたにくだり来て田端の丘をたち割る道路
連作の表題が「新道路」と付けられているわりにのどかだ。掲出歌ではロンドンを思わせるようなムードもある。早春の関東にもやがたちこめ、「大都市」(!)から煤煙があがっている。「都市」自体、明治期にかけて広まった翻訳由来の単語だというから、『朝月』(昭和13年)の刊行時点では50年もたっていなかったはずで、硬質でまあたらしく聞こえる。自然のうみだした靄に、都市の人間のいとなみから生まれる煙が流れている。ただ、煙は霞のようにうすくたなびき透けていようとも、どこか太太として靄とはやはり混ざり合わない。この情感をたくましい人間の美質として味わうことのできた時代を、懐かしいともうらやましいとも思う。
同じ歌集に「資本の力」という連作もあり、「正月大船映画都市計画地に遊ぶ」と詞書が添えてある。
すすき原枯生のいろを明るくして白堊の棟の大きく横たふ
都市計画すでに成りたる薄野の道ひろくして夕日朱を流す
明るいし、麗しいと感じられるのは、ここが映画スタジオとして良作を生み出す現場となるという予感によるものだろうか。あとがきで、「潮音」の運動に関する自身の認識としては「気先きと云ふことから直観に於ける虚の芸術、同時に瞬間把握の態度、感じの拡大、映画的手法、立体的表現という方面の精進」を獲得したという。ほかにもあとがきにいろいろと読み取れるのだが、今様に言えば現場感のようなものは、場所や時代を違えるとやはり置き換えがたい。ここにある「夕日」とは、想像力を補完するスクリーンという文脈ではいまでも繋がることができるのかもしれない。想像でしか届かない領域と、むしろそれによる可能性の両方が、まだ計画でしかない映画スタジオの中に広がっているようにも見える。
四賀光子は太田水穂を夫にもち、ともに「潮音」を創刊。昭和51年に92歳で逝去するまで歌を作り続けたという(『近代短歌の鑑賞77』解説・草田照子より)。
