窓ガラスくらむ刹那せつなのみんなみんな魚の骨のもようのドレス

『花やゆうれい』佐藤弓生(短歌)・町田尚子(画)

高層ビルの展望台から、夜景を見下ろしているような状況を思った。だんだん暮れていき、窓ガラスの向こうが夜になると、夜景に重なるようにして自分の姿がガラスに反射し映りこんでくる。単に遠くから、また写真や動画で見ているだけではない。現地で夜景に自分の影が映りこむと、自分の顔や体が鏡のように映りながらも、その部分だけいちだん暗くなる。どのように動いてみても、ガラスに影がついてくる限り暗い。そのとき生じる瞬間的な奥行きが「刹那」であるだろう。また「ドレス」は普段着と違って多く体にぴったりとしているし、おそらく足元もヒールを履いて合わせてあるだろうから、いつもよりも動きづらいということがある。体が動かしにくいことは、むしろ体の構造をくっきりと意識する機会になる。関節や、骨。ガラスに映った半透明の肉体には骨が透けて、また肉の組織に対しては鉄筋のビルが抽出され、内部にあるはずの骨格が、人体であり都市の骨組みが、じんわりと浮かび上がって見える。

かたやこの歌集は猫とともにある。対応する左のページでは、マフラーをした黒い大人の猫が数匹の子供の猫を乳母車に乗せて、満月の照らす夜の道を散歩している。猫の眼球は丸く大きくて、月に近い黄金の色、たぶん月を見ているようなのだけれど、猫というのはどこを見ているのかときどきわからない。そういったイラストを通して、短歌のところどころに、点々とつけられた猫の足跡をたどりながらページをめくっていくことになる。掲出歌でドレスを着ているのは猫なのだろう。猫であるから、おいしそうな魚、これまで食べてきた魚の生命が、とりわけ身体にうっすらと透ける。「みんなみんな」と声をかけるとき浮かぶのは、互いに少しずつ寄り添うような猫の群れである。さらには「みんな」のリフレインの中に、犬や、人や……夜景の中には数えきれないほどのビルがあり、もう考えるのも気が遠くなるような人の暮らしがあるけれど、夜景のこちらがわにも、息をひそめた無数の命がひしめているのだ。

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