竹竿(たけさを)の朽ちて割れ目に入りし雨打ちおとしつつもの干す今朝は

三ヶ島葭子『吾木香』(1921年)

 

 

最近ではもう物を干すのに、竹の竿を使う家はほとんどない。
ここでは、その竹竿の、すでに傷んできて、割れたものを使っている訳だ。

雨のあがった朝、たまった雨を落としながらせんたくものを干す場面。

かけてある竿の片側を外し、トントンと地面に打ちつけ、そのあと布でキュッキュと拭いていく、たとえばそんな場面を想像する。

 

「打ちおと」すが一首を躍動的に、そして、そこから目に浮かぶ水滴の散るさまがきらきらと美しい。
描かれた具体がよく生きて、朝の仕事にとりかかる気分が健やかに伝わってくる。

 

家事は、合理化できればそれに越したことはない、という考えでどんどん進んできたけれど、三ヶ島の歌を読んでいると、かつての家事にあった豊かさを思い、やすらぎを覚える。
それは、多忙ながらに、人が本来の暮らしを味わっていたからだと今さらに思う。
今、多くの人がそのことを感じているから、少し暮らし方が見直されてきているのだろう。

 

・天氣よくて張物(はりもの)さはに乾きたり布海苔(ふのり)の汁の少し餘(あま)れる

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