都築 直子


神経のいちにち分のゼンマイが一気に解き放たれてめまひす

齋藤佐知子『帰雲』(2011年)

 

おどろきました。
きちんと巻き上げた神経のゼンマイが、いちにちの途中で一気にほどけてしまうなんて。
そりゃあ、めまいがするでしょう。下手をしたら、その場にくらくらっと倒れこむかもしれない。洗濯物を取り込んでいるときだったら、ベランダにへたりこむ程度ですみますが、流れてくる卵の殻か何かを橋の上から覗いているときだったら、頭から川へ落ちかねない。危険です。
このかたはどんな状況にいらっしゃったのでしょうか。心配になります。

 

ご存知のようにわたしたちはみな日に一度、神経のゼンマイを巻き上げます。たいていの方は、朝起きて、顔を洗って、歯をみがいて、その次くらいにやっているのではないでしょうか。神経のゼンマイ巻上げ器、つづめて神経巻上げ器、あるいは単に巻上げ器と呼んでいるこのオルゴールのような小箱を、みなさんだいたい洗面所に置いているようです。

歯をみがき終わったら、神経を取りだして、巻上げ器にころんと入れる。
蓋をして、鍵のさしこみ口に鍵をさしこみ、きいこきいこと巻きあげる。
なに、ものの十秒とかかりゃしません。
巻き上げた神経を、からだにもどしたときの気持ちよさったら。
ああ、一日がはじまる。
矢でも鉄砲でも持ってこいという心持になります。

ただ、巻上げ器の中には、粗悪品もあるのですね。本来なら一日かけてゆっくりもどるゼンマイが、粗悪品を使うとそうならない。
わたし自身は、もう長いことクラフト・エヴィング商會のものを使っております。おかげさまでゼンマイが瞬時にほどけたなんてことは、ただの一度もありません。
めまいに襲われたこの方は、おそらく他社のものをお使いなのではないでしょうか。しかし、『帰雲』の装丁はクラフト・エヴィング商會のものをお使いですし、あとがきではそのことを「ひそかな願いが叶」ったとおっしゃっている。この商會の製品の質は先刻ご存知です。ということは、巻上げ器を買い替えるときに、たまたまクラフト・エヴィング商會のものが品切れだったのかもしれませんね。
わたしとしては、一刻もはやく再度買い替えられることをおすすめしたい。

 

神経を巻き上げる時刻ですか? いえ、起床後とは決まっていません。個人の自由です。自分の好きなときに巻き上げればよろしい。
就寝前ですと神経が磨ぎ澄まされすぎて眠れなくなるので、あまりやる方はいないと思いますが、朝ごはんは神経のゆるみきった状態でリラックスして食べたいから、巻き上げるのは食後のコーヒーの後、という方もいるでしょう。もちろん正午近くでもかまいません。
ともあれ、健康と長寿のために日に一度は巻き上げることが推奨されています。
でもわたしなど、外出の予定がなく、一日じゅう家でぼーっとしていたいときは朝から一度も巻きあげないことがよくあります。ここだけの話ですが。