花山 周子


池田はるみ/あんたはなあどうも甘いと言はれてる烈夏の下を通つてゐたが

池田はるみ第六歌集『正座』(2016年・青磁社)


 

前回、森尻理恵の歌集における生活信条というものに触れて書いたけれども、そのような生活信条というものは人の文化の生きた現場でもあって、そうした最も本来的な文化性を自覚的にモチーフにしているのが池田はるみであると思う。池田はるみは大阪の豊中市で育ち、東京の下町の家に嫁いだ。大阪東京双方に通じる下町の人情を愛し、お江戸文化でもある相撲(※相撲の歌についてはぜひ7月16日の生沼さんの回を参照されたい。)や寄席や蕎麦やうなぎをこよなく愛しながら、一方では遠く離れた土地で自らの大阪人たるルーツを握りつづけることの孤独をも見つめてきた。

 

あんたはなあどうも甘いと言はれてる烈夏の下を通つてゐたが

 

あんたはなあどうも甘い」という批評は大阪人ならではのものではないかと思う。次の歌には〈末の子の脇の甘さが直らない合歓の木の花ことしも咲いた〉という歌が置かれていて、〈脇の甘さが直らない〉ことが反芻されるのである。これは言い換えれば〈お人好し〉ということでもあって、その人の良いところとして勘定することもできる。もちろん言っている相手も半分はそう思っている。それでも、やはりこれは戒めでもあるのだ。というのも次に来る歌は〈あはれあはれ数字といふが分からなく分からぬままに老いづきにけり〉という歌であり、おそらくは〈数字といふが分からない〉、つまりは金銭に疎いことが〈脇の甘さ〉というものを彼女にそのたびごとに連想させる。〈あんたはなあどうも甘い〉にはそういうシビアな生活信条が込められてもいるのである。

 

言はれてる〉という現在形に注目するのである。言われているのは常にその時の〈いま〉なのだと思う。故郷に自分が居たころ、折に触れて言われていた親の言葉。それは自らに血肉化され、折に触れてまた〈言はれてる〉のである。そして、ここにはそういう信条に照らされた〈どうも甘い〉という自分があるのであり、それこそが池田はるみのアイデンティティであるのだ。「烈夏の下を通つてゐたが」という言いさしにはだから異邦人的なあてどなさがあってとてもさびしい。

 

私はクオリアで東直子について書いたとき「コミュニケーション」によって浮上する〈わたし〉というものに言及したけれど、これは女性の作品について考える上でとても大事なところなのではないかと思う。人というのは常に確固とした〈わたし〉があるのではなく、相手によって生じるものであり、ごく単純な話であれば、親に対しては子供であり、子供に対しては親という、それは立場的な話にとどまらず、心理的人格的にその相手に対して生じる〈わたし〉でもあるのだ。そしてある種の女性の歌というのはこのようなコミュニケーション下に生じる〈わたし〉というものに非常に鋭敏である。

 

今日の池田はるみの一首でいえば、〈あんたはなあどうも甘い〉というなかに含まれる愛情の機微をもってつっこんでくれる相手がいるからこそ存在する〈わたし〉があるのであり、故郷を離れてのち、そんなふうにつっこんでくれる相手がいなくなれば失われる〈わたし〉がいること、そういう現象的且つある文化圏によって形成される〈わたし〉への自己愛こそが〈あんたはなあどうも甘いと言はれてる〉という現在形に呼び込まれているのである。それは、〈「ケチねえ」と驚く姑(はは)のかほがあり何のシーンか思ひ出さねど〉という、東京の下町の人である姑から発せられた「ケチねえ」という言葉とはおおよそ違う文化の上に成り立つコミュニケーションでもあるのだ。大阪では脇の甘いはずの池田はるみは東京では「ケチねえ」と言われるという、池田はるみの歌にはそのような「異文化」の狭間に生きることの〈わたし〉が捉えられているのであり、同時にそれは文化というものがこうした〈わたし〉という磁場から描き出されてもいるということなのだ。

 

こゑがはりの大阪弁はもぞもぞすこの可愛ゆさを何にたとへむ

あかんでの「で」の抑制がうつたうしいあほなことしたらあかんでの「で」

あほなこと止めたら息が止まるわい「わい」は男の専用なれど

 

こうした大阪弁に対する愛着も東京の人間には理解されないところがあるのではないか。そして、逆に大阪の人であれば即、手を打って共感するものであるような気がする。〈こゑがはりの大阪弁はもぞもぞす〉という感じは私にはぱっと思い浮かばないし、だから〈この可愛ゆさ〉というのもわからない。でもだからこそ、なるほどなあ、と思うし、なによりも文体によって何か伝わってしまうのがすごい。狭い日本ではあるけれど、そこには歴とした文化の違いがあるのであり、あかんでの「」を発するものにしかわからない「」の感触や語感、「あほなこと止めたら息が止まるわい」という笑いに対する本気度の可笑しさ。さらにそこには、「わい」が男専用であるところの同じ文化圏内に敷かれている線があるのであり、池田はるみが拾い出す本当に細やかな機微が、そこにある文化の厚みを物語っているのだ。

 

原発の虚(うろ)の中にぞ知恵を入れまた知恵を入れびしよびしよとせり

西太后きらひか好きか死にすれば後の世のひと分別(ぶんべつ)をする

いふなれば「相撲見物」けんぶつは責任なくて気ままな感じ

 

ここには庶民文化という立ち位置からの強かな眼差しがある。現代科学の叡智の結晶であった原発はけれども一旦壊れれば、その対応はひたすら水をかけるというお粗末なもので、素人目にも「びしよびしよとせり」というよりほかはなかった。〈知恵を入れまた知恵を入れびしよびしよとせり〉には、知恵のない、なんもわからん人間からの究極のアイロニーが投げかけられているのだ。

 

西太后という、人心に畏れられた人物は、その死後、人々によって、嫌いか好きかに「分別される」ということ。歴史上の人物でさえいつしか庶民の娯楽文化として享受されるようになる。それは「けんぶつは責任なくて気ままな感じ」にも通じる一つの思想であるのだ。そしてそのような思想が概念ではなくて歌に息づく。それは、口語や文語、大阪弁を自在に取り入れる歌の抑揚によってふくよかなあたたかさを保ちながら、しかも鋭く油断ならないのである。

 

歌集名であるところの『南無 晩ごはん』や『正座』にも、こうした思想は貫かれているのだと思う。池田はるみの歌はつねに、晩ごはんや正座といったいわば家の文化を磁場にした思想、生活信条が自らのアイデンティティを核にして詠われているのであり、歌の巧みさが雄弁にそこで生きる一人の女性の機微を描き出す。こうした池田はるみの歌の在り方は、女性の歌、というものを考える上でももっと注目されていいと私は思っている。

 

箸立てに箸が咲いてるゆふまぐれ二本をぬいてうどん食ふひと