吉野 裕之のアーカイブ

折る膝のなければ敗れし軍鶏はからだごと地へ倒れてゆけり

としどしに臘梅紅梅咲きつげばこのまま長く生きむ気のする

ねこバスが迎えに来ぬかと大きめの傘さして待つ雨のバス停

「聖家族教会」なんと作業中の工事現場にて教会にあらず

バスの中誰も声せず幼きがあーあとふかきかなしみもらす

ボルト屋が来てボルトのことながながと喋りてゆけりボルトかなしも

あ、蝉と思ふたちまち揃ひ鳴く 台風すでに外(そ)れたるならむ

そら豆をかみつぶすとき母はイランの神の顔する

伏せ置ける棚の茶碗のなかの闇茶碗の外の闇と異なる

くれなゐのつつじをまたぐ歩道橋いま天界の風ながれゐる

ラジオより天皇陛下の声聞こゆどうやら戦争がおわったらしい

ひそかなる盗みに似たりひとりなる姪を抱きて行く街のうら

熟柿(うれがき)はわれを抱きし伯母のやうぽたぽたとして皮破れさう

高々と資材吊り上げ夕焼けの中にクレーンなほ動きゐる

遠い朝のように母来て縁側の夏のほとりに吸うている桃

日常のわが段落に埋めおきし球根がけさ洎夫藍に咲く

排泄の音が聞こえる静けさに肩のしこりをほぐさむとする

馬の屁のやうな匂ひの風が吹きぽつりぽつりと雨が降り来ぬ

曖昧に蓴菜(じゅんさい)すする昼の餉(け)や薄暮家族となりゆくわれら

早春の風を踏みつつ来しなだり紅梅その他君の背も見ゆ

救急車のサイレンに二つの表情あり近づく不安離(さか)る哀感

人が梯子を持ち去りしのち秋しばし壁に梯子の影のこりをり

朝覚めし母に会へれども耳とほき人として未だこゑをかはさず

寝る前のしどろの闇の弾力は押し返しくるいきほひ持てり

内臓のひとつかすかに疼きゐる春の地球に雨降りそそぐ

夜学終え歩む一人の長き影われに追われて揺るるわが影

地の上に立ちてほのぼの空仰ぐ人間というかたちに生きて

夜は巨大なたまご生むとぞ闇深く匂へるまでに黒きたまごを

燐寸と書きてマッチと読むことを知らざる子らが街を闊歩す

西日カッと部屋にさしこみあらあらと一枚の壁起ちあがる

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