澤村 斉美のアーカイブ

白鳥の飛来地をいくつ隠したる東北のやはらかき肉体は

真木(まき)ふかき谿よりいづる山水(やまみづ)の常あたらしき生命(いのち)あらしめ

人どよむ春の街ゆきふとおもふふるさとの海の鴎啼く声

心底をのぞけば仏像を彫る男ゐて折々の鑿(のみ)が光れり

美(は)しきもの告げるにはやき仲なれば沈む夕陽は沈ませておく

まもなく君が帰り来る夜を見つめたり あをあをと埃のやうな月光

若ければジゴクノカマブタという花のつまらなく咲く春の畔道

おーい列曲がつてゐる、と言ひかけて 眼(まなこ)閉ぢれば春の日はさす

残されし私物のゆえによみがえる人の名のありすすむ昼飯

春の陽に百人午睡する電車ピンキンピンジン海を横切る

面長き享保の女雛のまなじりにやどれり春の破れた力

挽歌ふたつときの間に成り成りしことのふいに膝頭さむきわれかも

冬椿、手ふれて見れば凍れるよ、我が全身ををののかしめて

外(と)にも出よ触るるばかりに母のゐて教へたまひしやしやぶしひかる

去年の冬のわが知らざりしわれとして来て蠟梅の香(かう)にまじりぬ

夥しき未知の箪笥の育ちゐる林と思ふ雨水の午後に

はくれんの花閉ぢかけて閉ぢきらぬ春宵ながく返事を待てる

カーテンに春のひかりの添う朝(あした)はじめて見たり君の歯みがき

日にうとき庭の垣根の霜柱水仙にそひて炭俵敷く

看板に〈傍観者〉とありときをりは店主が出でて小窓を磨く

中庭にはたんぽぽ長けているばかりホムンクルスが薄く目をあく

とつぷりと暮れたる街に漕ぎ出だす身はよるべなき遺伝子の船

春立つとけふ精神のくらがりに一尾の魚を追ひつめにけり

「それは何か」ともう食べぬ亡父の声したり巨峰もて闇をよぎりゆくとき

谷地に湧くみづが金だらひほどの光りそこに順序に鳥の来たるも

血は出口探して巡れるものならず夜の運河と遥か釣り合ふ

真夜中の鍋に林檎はほろほろと心細(うらぐは)しいのち煮詰められたる

あはと消ゆる南のゆきのかろきをば降らせたやなうそなたがうへに

すこしわれ生き過ぎたのかとおもふとき森はしづかに大寒に入る

誰がせし〈歌のわかれ〉か書き込みの多き歌集が箱で売らるる

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