澤村 斉美のアーカイブ

ウオッカといふ牝馬快走その夜のわたしの肌のやすらかな冷え

フランスの語彙を学べるわが上にああ月(リュヌ)といふ此岸の出口

故郷近くなりて潰せるビール缶の麒麟のまなこ海を見るべし

ぼそぼそとももいろの塊(かい)食べながらハムも豚だと思い出したり

秋光のいまなにごとか蜘蛛の巣に勃(お)こるまでわが視野の澄むべし

夕かぜのさむきひびきにおもふかな伊万里の皿の藍いろの人

天心に半月清かに駆けており君を想わんための一時

河二つぶつかり合えば冬近き朝々を靄街深く来る

終わりたる友情なれど植えくれし万年青(おもと)は今年もつぶら実を抱く

夕山をしぐれの去りて石蕗(つわぶき)は石段よりも光りいるなり

人はかく大人にならむ はにかみて「Bonjour」と言ふ時期のみじかさ

蟬脱のさまに飛行機の或部分ひらきしづかに車輪のいづるを

ドアを出づ、―― 秋風の街へ、 ぱつと開けたる巨人の口に飛び入るごとく。

逢ふといふはこの世の時間 水の上を二つの星の光(かげ)うごくなり

身ごもりし娘と自転車を押してゆく祖師ヶ谷大蔵処々梅花盈(み)つ

わたしの自転車だけ倒れてるのに似てたあなたを抱き起こす海のそこ

はるばるとよさの湊の霧はれて月に吹き越す稲のうら風

暗やみのかたちに合はせ何度でも鋳直すことのできるこの指

たくさんの空の遠さにかこまれし人さし指の秋の灯台

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

したたれる蒼さするどさ受けながら身はつくねんと秋空に向く

ふかぶかと背に包丁の入りしときびくんといさなの尾が跳ね上がる

夕皃(ゆふがほ)の花しらじらと咲めぐる賤(しづ)が伏屋に馬洗ひをり

このごろは近視がすすみ裸眼では生徒の群れがゲルニカに見ゆ

少年はあをきサロンをたくしあげかち渡り行く日向(ひなた)の河を

離れ住む朝(あした)の卓に皮膚うすきクロワッサンを互みに置けり

放射能も蚊取り線香で落ちちやえばいいのにね いいだらうね

夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき

水のごと 身体をひたすかなしみに 葱の香などのまじれる夕

一束の野の青草を朝露と共に負ひゆく農婦に遇へり

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