黒瀬 珂瀾のアーカイブ

つるし置く塩鱒ありて暑きひる黄のしづくまれに滴るあはれ

在りやうをわれに咎めに朱夏来たる容赦なし<蝉時雨>浴びせて

流灯に重なる彼の日の人間筏わが魂も乗りて行くなり

さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく

おほかたの友ら帰りし構内に木の椅子としてわれを置きたし

襟元をすこしくづせり風入れておもふは汝(おまへ)かならず奪ふ

花弁より飛び散り易き歌のむれ風に揉まれて来る黒人兵

ぬるま湯に蛸踊りつつ死を迎ふ快楽のむらさきのこむらがへり

ささやかな歌創るより忙しき一記者のわれに没頭せむとす

この口は夏の蝉よりくりかえすどんなにあなたにみにくいだろう

わたくしの絶対とするかなしみも素甕に満たす水のごときか

朝おきて泡たてながら歯をみがくまだ人間のつもりで俺は

我の所掌となりし機密の書庫の鍵に赤く小さきリボン付け持つ

ゆふがほの解(ほぐ)れるときのうつつなるいたみはひとの指をともなふ

僕はいくつになっても夏を待っている 北蠅座というほろびた星座

灯台に風吹き雲は時追えりあこがれきしはこの海ならず

おみなにはなき愉しみに髭撫でて近代という男の時代

わたつみへ帰りてゆける道すがらワインとなりてわれに寄る水

稲妻が海を巨いなる皮として打ち鳴らしたる楽の一撃

「幽霊とは、夏の夜に散る病葉(わくらば)のことです」とその街路樹の病葉が言ふ

こないだは祠があったはずなのにないやと座りこむ青葉闇

うぬぼれていいよ わたしが踵までやわらかいのはあなたのためと

長き貨車だらんだらんと出て来たるトンネルのごと我が哭きおり

夜の暗渠みづおと涼しむらさきのあやめの記憶ある水の行く

だきしめてやりたき肩が雑踏にまぎれむとして帆のごとく見ゆ

〈弧(ゆみ)をひくヘラクレス〉はも耐えてをり縫ひ目をもたぬひかりのおもさ

帝王のかく閑(しづ)かなる怒りもて割く新月の香のたちばなを

こひねがい潰(つひ)えたる夜を黙しゐて子の万華鏡のさまざま覗く

傷あらぬ葩(はなびら)のごとかばはるるうらがなしさに妊(みごも)りてをり

てのひらに稚きトマトはにほひつつ一切のものわれに距離もつ

月別アーカイブ


著者別アーカイブ