黒瀬 珂瀾のアーカイブ

寄り弁をやさしく直す箸 きみは何でもできるのにここにいる

泣き濡れてジャミラのように溶けてゆく母を見ていた十五歳(じゅうご)の夜に

たまり水が天へかへりてかわきたるでこぼこの野のやうにさみしい

叫喚(さけび)上ぐ高層ビルの解体の瞬時逃げおくれしたましひが

体には傷の残らぬ恋終わるノンシュガーレスガム噛みながら

死者の魂(こん)翼に乗ると空みつつまなこ澄みけむ古へびとら

薄氷(うすらひ)の上を生きつつみひらけばきみ立ちて舞ふ月のおもてに

海嘯ののちのみぎはは海の香のあたらしくして人のなきがら

ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。

死者に逢ふ、ことだつてある……… 写真帖(アルバム)を繰るやうに街角を曲れば

竹・藁・葦こまかく堅く編みつぎてここにもモンスーン圏に生くる者たち

頬のつめたきはずのひとりをさがしつつ蕾のおほき庭を歩めり

木の匂ひ風がはこぶに銀漢の下に骨のなきにんげんの立つ

丈三尺伸びし黄菊や管(くだ)菊やビンラディン生きて逃がれよと思ふ

うなだれて洗ひつづけるこの世なる薄明かりなるひとつのあたま

敗け方の下手なわたしは点になるまでのひばりを又聞いている

籠に飼ふネズミは産みしばかりなるその仔を静かに食みをはりたり

右脇よりドレインに抜ける濁り水わが胸に棲む夕やけの色

夜のプール塩素の臭いに囊(つつ)まれてまず魂が腐りはじめる

コピー機の足りない色に紫陽花はかすんでここに海があったの?

聾児らの劇「幸福」はいま終へて静かなる拍手ながくながくつづく

仕事終へ白布かければ計器類にはかに支配者のかたちをくづす

唇にはりつく桜花まがなしく紙片一枚の関わりにいる

透明になる過程が見たい紙一重というところが見たい

胸の傷かくして立てばさびさびと砂地に雨の降りたまりゐる

菜の花にからし和えればしみじみと本音を聞きたい飛雄馬の姉さん

冷めてなほ唇(くち)に張りつく乳の膜おのがことばにおのれ欺き

ガラス一枚へだてて逢えばひとはたれもゆきずりの人となりてなつかし

雨の日のさくらはうすき花びらを傘に置き地に置き記憶にも置く

ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の

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