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砂子屋書房 一首鑑賞
日々のクオリア
投稿者:
久我 田鶴子
俺もオレもここに居るぜとウインクす日よけに植ゑしゴーヤーの子ら
カツレツの厚みや苺の個数にも差をつけたがるわが妻の愛
口にすれば消えさうなもの兆し来てしばし緘黙 会話のさなか
「お母さん」呼べば「はい」とうこのうつつ昨日も今日もわれの幸福
母死なせ生きのびしわれ死にしわれ寄り添ひて立つ自販機の前
水槽の中を歩いているような日は匿名になり月になる
常に世界にひかりを望むといふやうな姿勢ゆるめて緑蔭をゆく
浅き川隔てて向かう岸のあり光のごとく開く鷺草
脚が脚が、とひとの呻きに始まれるこの家の朝(朝死ねと思う)
千人の午睡を運ぶ巨大機の三万フィートの春のたそがれ
幾百万突き刺さりくる線描の天のしぶきのサイゴンの雨
白杖の先に桜の花びらが貼りつきてをりそのまま歩く
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